【玉葉集】20/R4.02.09 定家詠とホッツェンプロッツ
グーグルフォトによると、去年の今頃は子ども達を連れて海岸を走り回っていたようです。うっすらと立ち上る春霞。おぼろに見える山影。どこまでも広がる海。古典和歌なら緑に染まった世界として描き出したことでしょう。
子ども達は薄着で海の水に触れていました。南国鹿児島とはいえとても信じられません。今年は朝起きるのがおっくうになる程度には寒い日が続いています。
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こちらの歌は僕とは逆に、暖かい春を迎えているようです。松に雪が残るところって一体どこのこと?と。疑問の表現は、それだけ冬の気配が遠ざかっていることを示しています。
『古今集』に本歌があります。
こちらは「だに」(=~でさえ)を効果的に使って、微かな淡雪でさえ溶けてしまわないほどの寒さを示します。冬の気配が濃厚なのです。そしてその濃厚さが下句の春の情景と対置されていることが分かります。
この歌と定家の「松の雪」歌はどこが異なるでしょうか。
まず一点目。定家歌は松に淡雪がかかる山奥は視界に入っていないこと。これで定家歌では作中主体が都にいることがより明確になります。
もう一つは描かれている春の情景です。『古今集』では若菜摘み。定家の歌は緑に沈む春の野辺。この野辺ではもちろん若菜摘みをしています。聞き手・読み手もそれは分かっています。「松の雪消えぬやいづこ」で既にこの古今集歌を踏まえていることが明らかだからです。
定家は対比は失わないまま視点を都に集中させ、若菜摘みには霞をかけたのです。定家らしい、情報量の多い歌ですね。
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帰宅すると子ども達はポケモンを見ています。今日は長男が早めに宿題を終わらせたようです。
カレーを食べると、またポケモンの続き。ところが目を離しているすきに長男がはさみで自分の髪の毛を切っています。びっくりしてテレビを止め、髪を切った理由などを聞きます。ですがまだまだ8歳、自分の情動を言語化できるほど大人ではありません。
心配の余り怒ってしまった妻はテレビを消します。長男が悲しそうに謝りますが、許してもらえません。
ちょっと可哀想なので、先日僕がこっそり注文し、今日届いた『大どろぼうホッツェンプロッツ』を少し読んであげました。本当は長男に自分で読んで欲しかったんですけど。
さすがホッツェンプロッツです。大どろぼうにして盗むモノはおばあさんのコーヒーミルという不条理世界に、大人は笑いを隠せません。一方子ども達は食い入るように聞いています。一章終わったら次とおねだり。歯を磨いている間にも読んでくれとアピール。二階に行く前にもう一つ読まされ、寝る時間だよと追い立てたらベッドで読んでとリクエスト。
全部で5章ほど読んじゃいました。30分は経っています。今日の僕は授業でもたくさん音読しましたけど、家でもがんばりました。
パパは自分がチョイスした本が気に入ってもらえて満足。子ども達も楽しいお話が聞けて満足。ママもテレビを消したまま就寝できてたぶん満足。
ホッツェンプロッツのおかげで皆が嬉しい夜になりました。