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【新古今集】月とおふとん

秋の夜は衣さむしろ重ねても
月の光にしくものぞなき
(秋歌下・489・源経信)

 詠み手の源経信は大歌人・俊頼の父であり、『後拾遺集』にダメ出しをした誇り高き男であり、三舟の才をうたわれた才人であり、次の時代の和歌を模索し方向付けた文学的リーダーの一人です。 

 歌です。
 秋の歌で面白いものを探すと月の歌が多くなります。そもそも数が多いのですが、月や月光が多くのものの比喩になることも一因です。

 今回の歌の月はどんな意味を与えられているでしょう?

 この歌に登場するのは月の光。「しくものぞなき」とありますから、「衣さむしろ」と「月の光」を比べて後者に軍配をあげています。

 「衣さむしろ」って何でしょう?
 そう問いを立てると、和歌好きな人からは次の和歌が指摘されるでしょう。「衣さむしろ」を用いた超有名な古歌です。

さむしろに衣かたしき今宵もや
我を待つらむ宇治の橋姫
(古今集・恋歌四・689・よみ人知らず)
小さなむしろに
衣を一人で広げて
また今夜も
私を待つのだろうか
宇治の橋姫よ

 いや待たせてないで行ってやれよ橋姫んとこ。
 という突っ込みは置いておきましょう。詠み人知らずの古歌ってこんなものです。詠み手と橋姫の関係に、ロミオとジュリエット的な何かを妄想しておけば現代的にも納得できるでしょう。
 ともあれ「衣」「さむしろ」は寝るときに敷くもの、ということが分かりますね。要するにおふとんです。

 元の経信歌に戻りましょう。

秋の夜は衣さむしろ重ねても
月の光にしくものぞなき

 こちらも「衣さむしろ」と続けていますから、上の宇治の橋姫の歌を念頭に置いています。するとやはりこの「衣さむしろ」もおふとん。
 それと比べられている月の光も、おふとん。「しくものぞなき」の「しく=及ぶ、匹敵する」に「敷く」の意味も響かせて、おふとん感を高めています。月の光のおふとんなんて、幻想的。

 これでだいたい歌意が分かります。訳してみましょう。

秋の夜は
衣に小さなむしろをしいて
重ねの布団にしてみても
月の光に比べれば
敵うものなど何一つ無い

 さて大体の意味は分かりましたがまだ疑問が残ります。
 「しくものぞなき」。敵うものなど何一つ無い、と訳しましたけど、月の光のおふとんは「衣さむしろ」に比べて何が勝っていたというのでしょうか?

 手がかりはこの歌。

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の
おぼろ月夜にしくものぞなき
(新古今集・春歌上・55・大江千里)
光り輝くこともなく
すっかり曇ることもない
春の夜の
朧月夜に
敵うものなど何一つ無い

 経信は、100年以上前の歌人である大江千里の歌の末句を取り創作しました。
 大江千里歌が最上位に掲げている朧月夜は何のランキングで一位なのか。それは言語化するのも野暮な気もしますが、あえて言うなら「心」なのでしょう。『古今集』仮名序にある、歌の種となる心です。花が咲き鳥が飛び、霞が立ち露が降りるのを見て感じて動く抱く心です。現代風に言えば「詩情」とでも言えるでしょうか。大江千里はその心、詩情を抱かせるものとして、朧月夜をNo.1に位置づけました。

 経信もまた、月の光のおふとんに詩情を感じたのでしょう。その詩情は宇治の橋姫の古歌が催させる詩情を凌ぐほどの圧倒的な感動でした。

 ずいぶん歌の背景を追いかけることができました。こうしてバラバラにして、並べたり比べたりしていると、最後に1つ気になる部分が残ります。「重ねても」です。

 古今集歌の「衣かたしき」は「共寝は二人の衣を重ね広げるので、独り寝のさまをいう」(新日本古典文学大系『古今和歌集』)と説明されます。重ね広げる行為に対する、「かたしき」だったのです。
 それを経信は「重ねても」に変えました。
 経信の「重ねても」には何か表現意図があったのでしょうか?

 こちらについては特に確たる根拠を持って説明できることはありません。しかし「重ねても」が「独り寝」ではなく「共寝」を想起させる表現として受け取ることが可能ならば、経信はずいぶん踏み込んだ歌を詠んだことになります。上句は、恋人を待ち焦がれた橋姫のところにその人がとうとうやってきて思いを遂げることを意味するようになるからです。
 すると下句はどう受け取ることになるでしょうか?
 それよりもなお、です。橋姫が恋い焦がれた逢瀬が実現する。それよりもなお心が動かされる月の光の美景、詩情。ちょっと想像するのが難しいくらいに深い心情となりそうです。
 ま、考えすぎな気もしますけど。





 この経信歌は後の時代の歌人の心を大いに刺激したようです。そのうちの一人が、経信の息子俊頼に指示した俊成、の息子である定家でした。

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて
月をかたしく宇治の橋姫
(新古今集・秋歌上・420・藤原定家)
冷たい小さなむしろ
恋人を待つ夜の秋の
風は吹きつのって
冷え冷えとした月を独り寝のために敷くかのような
宇治の橋姫

 定家の歌でも人気ランキング上位に位置する歌です。この月をおふとん化する発想は、経信由来のものでした。本歌の宇治の橋姫を再登場させ、経信の発想を借りて月をおふとん化しつつ、その冷たさを強調して恋人を待つ心の切なさを深めました。

 定家の発想を見ると、経信歌の月の光も実は冷たさを詠んでいたのかもしれない、とも思います。重ねた布団を貫く冷たさです。布団?無駄無駄ァ!です。
 でもそうすると「しくものぞなき」がちょっと浮いちゃうんですよね。比べている感じじゃなくなっちゃう。
 経信歌のテーマは、今のところは「詩情比べ」と解釈しておきます。

天をるビルは乱れてきらめけど
月の光にしくものぞなき


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