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古典の入門1『恋する伊勢物語』俵万智

 古典の世界に踏み入る第一歩として相応しいのはどんな本だろう。
 身近な作品から古語に親しみ、次第に遠くの時代に導いていくのが良い、という人がいる。一考に値する。たとえば尾崎紅葉『金色夜叉』の名シーンを精読しながら古典文法に触れるという方法はあり得るだろう。
 古典としての存在感が大きなものに触れさせれば良い、と言う人もいる。研究対象として数百年以上読まれ、無数の注釈書が発行されている作品だ。具体的には『古今和歌集』『伊勢物語』『源氏物語』の3作品が該当する。
 どちらの方法が良いか。僕は今の所後者を選んでいる。というのも明治の近代文語文作品を最初に読ませたところで、それが生徒たちの「今・ここ・私」から遥か遠いことは変わらないからだ。どちらも読者から遠いなら、知っておいてほしい作品を読ませたい。

 そういうわけで、僕は導入として「蛍の光」や「春よ、来い」などに触れさせ、文語という存在に気づかせた後は、『伊勢物語』を読むのがよいと思っている。先にあげた3作品のうち、『古今和歌集』を用いた魅力的な授業を継続的に行なっていく自信が今のところ無いし、『源氏物語』は難しすぎるからだ。

 『伊勢物語』に最初に触れた人は、何が何だか分からないだろう。この作品では固有名詞はほとんど用いられない。また雑多な短編が無秩序に集められているように見える。現代の小説やエッセイで、少なくとも中高生が触れるものの中に似たような作品が無い以上、「何が何だか分からない」というストレスを解消してくれる手段は無い。だから何らかのカタチで「伊勢物語とは何か」を説明してくれる文章に触れた方が良い。そしてそれをこそ「古典の入門書」と呼ぶべきではないだろうか、と考えている。そこで『恋する伊勢物語』が出てくる。

 『恋する伊勢物語』はエッセイだ。つまり自分語りだ。稀代の歌人である俵万智が『伊勢物語』を語っているだけではない。『伊勢物語』を読んでいる俵万智の「今・ここ・私」をも語っている。だからこそ入門書足りえている。
 たとえば初段について書いた「短歌は必修課目」では、ところどころで俵万智の語りが入る。こんな具合だ。

 「初めての恋」は、まず、形から入る。「形」を体験することにといめいてしまう。それは、今も昔も変わらない。
 初めてのラブレター。初めてのデート。手紙の内容よりも、自分がラブレターをもらったということ、そのことにドキドキする。デートの相手がだれということより、自分が今、いわゆるデートというものを体験しているということ自体に、有頂天になる。

 ここで語られているのは俵万智の恋である。俵万智の「今・ここ・私」である。この記述を、縁遠いはずの『伊勢物語』に至るハシゴとして、読者は読んでいく。そうして次第に平安の恋や登場人物の知識について身につけていくことになるだろう。いくつかのエピソードを読んだ後に『伊勢物語』の原文に触れれば、ある程度その読み方が身についていることに気がつくはずだ。

 作品の説明に終始するのでは、中高生にとってその作品は縁遠いもののままだ。俵万智はそこに自己語りを挟むことによって、『伊勢物語』への感情移入を可能にさせる。『伊勢物語』を読むことを現代での「物語を読む」ということに近い行為に導くと言っても良いだろう。

 古典に入門する第一歩、最初に読むべき一冊として相応しい本である。


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