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大伴の家ってどんな家?
大伴家持は万葉集の編者の可能性がある人なんですけど、歌を歌う専門の歌人?だったわけではないんですよね〜 彼は朝廷に支える官人でした。今風に言うと国家公務員です
最終的な官位は正三位ですので、けっこう出世してた? 家持は官人として仕事をしつつ、政治にも関わり、大伴氏という家を率い、そして歌も詠み、恋をして、フってフラれて、地方に転勤を経験し、悲劇も味わいました。
特に彼の家である「大伴氏」は名門だったので、その御曹司としての責任感もあったでしょう。
大伴氏とはどんな家だったのか?そもそも、天皇の祖先はヤマト王権という巨大な権利機構を作りました。
そこに直属する様々な職能集団がいたのです。 その組織を「伴」と呼びました。伴のリーダーを「伴造」とものみやつこ、と言います。
色んな特技をもって天皇に仕えた人々の中で、特に大きく成長したのが大伴氏であり、物部氏でした。物部氏は天皇の武器を作ったり管理することで、大きく成長したようですが、大伴氏も武門の家柄でした。
のちに宮廷の門を護衛することになり、中でも正門を護衛したことで、数ある宮殿護衛の中でも特別な地位についていきます。
ところで大伴氏の祖先っで誰か知ってますか?
なんと神様なんです!「古事記」では天孫降臨の際、天忍日命が太刀と弓矢で武装してニニギを先導したということで… やっぱ凄くなると、祖先も盛らなきゃ!?になるんですかね(めちゃ失礼!)
とはいえ、大伴氏は頭から尻尾まで武人武人だったわけではないようで、7世紀後半くらいから、武力伝説が補強されていったようです。 きっかけは、壬申の乱でした。
壬申の乱とは、古代最大の内乱と呼ばれるもので、天智天皇の後継、大友皇子と、天智天皇の弟、のちの天武天皇による、叔父VS甥のガチンコバトルです。
当時は天智天皇の世の中だったので、弟の天智天皇が皇位を継ぐというのは、天皇の位を簒奪する!ということでした。
天武天皇は、のちに持統天皇となる妻や子、御付きの皆さん総勢20人くらいで決起したというのですから…これってテロじゃね?と思うのです。
もちろんそのあとで、色々合流するのですけど。
ともかく、最初はめちゃくちゃ不利、人数少ない! 勝ち目がなかったのです。でも、家持のおじいちゃんやひいおいじいちゃんたちが、天武天皇に加勢して、功績を上げました。
のちに日本書紀という日本の歴史書が編まれます。全30巻という一大スペクタクル!ザ!日本の歴史書です。
壬申の乱自体はだいたい1ヶ月くらいの戦闘なのですが、まるまる一巻使ってるのです。そ
の中で、大和方面の戦闘記録は、大伴吹負という、家持のひいおじいちゃんの兄弟の率いた部隊の様子なのです。
たぶん、記録を残しておいて、それが後で全面採用されたのでしょう。
大伴氏が、抜群の地位を占めるきっかけになったのです。