12月28日は家族総出で餅つきした思い出
ずっとずっと当たり前だと思っていた年末行事。
子供の頃の当たり前がどうやら違うと感じたのは結婚後。田舎育ちで三世代同居の私にとって、義実家で過ごす初めての年末は餅つきか〜と緊張でしかありませんでした。(もう、だいぶん過去の話ですが)
◉実家の餅つきは、寒空の下で大量生産
実家で餅つきをするときは、全部家の外でやっていました。ぺったんポンの臼と杵ではなく、機械です。おくどさんで一升二合ずつもち米を蒸し、熱い熱いと言いながら機械へ放り込みゴロゴロ回します。これを3回繰り返す。
なつかしい。
機械で回っているもち米を、しゃもじでペチペチやりながら「丸くなれ〜滑らかになれ〜」と念じていました。
ついた餅は、床几(しょうぎ)でまるめていました。【しょうぎ】の漢字を知ったのは、これを書くときです。家族が使っている言葉から「これが【しょうぎ】というものか」と認識をしていましたが「じゃあ何?」と聞かれればわからない。
まずは「鏡餅」からスタート。実家では三重ね作っていました。丸もちと違って大きく切る必要があるのでワラで切ってたんですね〜。すごく覚えています。でも、火傷する熱さのつきたてのお餅をどうやって床几まで持って行ったのか・・・。なんとなく、冷たい水で手を冷やしたおばあちゃんが「えいやー」って素手でやってたような記憶。
ここからは、おばあちゃんが主役。熱々のおもちを笑いながら「熱いなー」と高速でちぎっていくのです。もちろん素手。
「おばあちゃんはな、手の皮も面の皮も厚いんや〜」
と笑えない言葉を吐いていました。(かなり腹黒なおばあちゃんです)
それを、母や私が高速で丸める。1個につき2秒ほど。すごく乱暴なのですが、それくらいで丸めないとすぐに硬くなって丸められなくなるのです。なんせ、山の中のど田舎、外で作業してますから・・・。
そんなこんなの結婚前の12月28日。
◉義実家の餅つきは、台所で一つ一つ丁寧に
義実家での餅つきは、なんと台所です。暖かい部屋でできるなんてラッキー。餅つき機をどこに置くのか気になっているとダイニングテーブルの上に炊飯器のようなものがあり、なんとこれが餅つき機!。
そして、もち米の量は約5合。
昼食後にクッキーを作るような感覚でお餅を作るんですよね。なんだか「都会に嫁に来た!」って感じでした。でも、つきたてのお餅が目の前にくると、つい自分のなれた手つきになってしまうんですね。つまり「高速餅丸め(かなり荒い)」。高速の理由は「硬くて丸められなくなるから」なので、硬くならない義実家ではその必要はないのですがつい・・・。
「もう少しきれいにツヤをだして丸めてくれる?」
という指摘を受け、雑な嫁と思われただろうなと冷や汗をかきつつ、いろんな感情とともに義実家のやり方を身につけていくのでした。一つ一つがミニ鏡餅のように丁寧に丸められていて、実家よりも若干大きい小餅。
「こんな大きなお餅を一重ねも食べるの!?」と恐怖におののいたことを覚えています。(実際お正月に食べた時は一人1個だったので一安心しました。実家では一重ね[2個]が単位だったので小さい小餅だったのです)
ど田舎の実家よりも都会(かなり語弊はありますが)?だからか、色々な年中行事がほとんどないとわかった時は、ずいぶん肩の荷が降りたようでした。
◉今、思うことと現実
私が経験したことは、自分の子供は経験していません。夫も経験していません。なので、昔話のようになっていくのかなーと思っています。
例えば、夫も子供もお餅があまり好きではありません。それなのに、伝えるために餅つきをやろう!という行動力はもてません。なので体験しないまま。
私が小さい頃は、自宅にインターネットもゲームもビデオありませんでした。本屋さんも図書館もなかったし、寒いから外にもいかないし、冬休みはとても暇だったのです。そんなときに餅つきがあったので、暇だからやってた感じです。仕事に忙しい親がかまってくれるのも、こういったときだったというのもあります。だから、対して面白くない寒くて大変な作業でもやれたのかなと思います。
子供にいろんな経験をしてほしいという反面、そのためだけに行動する気力は私にはないなーと申し訳ない気持ちになるこの頃です。
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