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プロフィールを一新した話。

定型文のように使っていた言葉が、今の僕自身と全く空気が合ってない気がした。プロフィールテキストを変えることにした。

ただ、書けばいいってもんじゃない。
実際、どんなテキストにしたいのか、
僕自身と1~2ヶ月かけて会話した。

後悔

僕の曲を届けるために動いてくれる方々や、僕の曲を推してくれる方々、そして何より僕の曲に触れてくれたリスナーの皆さんに対して、とても失礼な想いでプロフィールを掲載していたように思う。

とても「ガワ」の話ばかりだったんだ。

・学歴、社歴などの経歴
・チャート戦績
・再生回数
・音楽を担当したクライアントやサービス名


どれも「過去の遺産」の話ばかり。
自分で自分のプロフィールを見返すと、ちっちゃな弱々しい斧で
ドヤろうとしてたのかな、なんて思ってしまった。


そもそも僕が楽曲を届けるときに大切にしている事なんて、上で書いた情報に何一つ載っちゃいない。音楽を耳で楽しもうとしてくれている方々に対して、とっても雑な情報だと今は思える。

さらに罪深いのは、実はそれも分かってて、僕はその情報をプロフィールやニュースリリースに、ふんだんに盛り込んでいた。

その情報が、僕を特別だと思い得る要素だと思っていたからだ。めちゃくちゃ悪い言い方をすれば、「僕の音楽の価値、わかんないだろ?」って思っていたのかもしれない。

繰り返すが、相手に失礼な話だ。恥ずかしいし、申し訳ない。
僕も気持ち悪いと思っていたものを、
とりあえず入れとけって思っていたこと、お詫びします。
ごめんなさい。

短い目と、長い目

両方の視点で考えて、僕が本当に届けたい相手を想うなら、載せたいことって、もっと「感性」の側面だ。

・音楽を作るときに大切にしていること。
・音楽の特徴(楽器の種類とか、ムードとか)。
・どういう(映像などの)作品で、僕の音楽を必要とされるか。
・音楽以外に、興味のあること。
・簡単なバックボーン(人間性を裏付ける、最低限の特徴)

僕がこの先、世の中から如何に「大きい」「小さい」とスケールを判別されようと、変わらず大切にしていきたいこと。そのために今、僕が意識して表現していること。そういう情報を、プロフィールに載せたいと考えた。


その内容を見て興味を持ってくれる方々が、
今僕が、大事に想う人。


順位。フォロワー数。再生回数。

これらは確かに、その場で人気や価値を第三者に説明する「第一歩的要素」にはなるかもしれない。


でも、音楽って「すごいから聴く」じゃないと思うんだ。(もっとも、数字的な意味で僕は全く「すごくすらない」のだけど。)

向いてないなら、しない

SNSは元より、最近は日常での会話に至るまで、僕は人を気遣って言葉を選ぶのを、なるべくやめるようにした。

正しく言うと傲慢に聞こえるかもしれないけど、「あー、この人に思ってること言っても、解ってもらえないだろうな」って思うことを噛み砕く行為を、やめた。

そもそも、そんな風に思っていること自体、今思えば上から物事を言っているように感じる。でも実際そう思うことは、よくあった。同じかそれ以上に、僕がどれだけ熱弁したとて、相手が僕に興味ないのがめちゃくちゃ伝わってくる経験も。

で、その次に、何を思うか。
どうしたら理解してもらえるか、必死に、工夫した。

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言葉を噛み砕く。表現に起伏を作る。難しい言葉は、使わない。頭をありえないほどぶん回して、全く不必要なレベルで気を使おうとする。肩には、ものすごく力が入る。故に、自然と語気も言葉も強く低く、重たくなる。

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感情が矛盾している。
上から「どうせ解らないでしょ」って気持ちでいるくせに、
理解してもらいたいという態度はとってもへり下っている。

今思えば、自信がなかったのかなと思う。
理解してもらえなかった時の、寂しさに耐え得る自信が。

噛み合わないコミュニケーションの中で、
伝えようとする想いが強まるときに起こりがちな「足し算」。
それほど、話し終えて自分自身が後悔することってない。

理解してもらうことに努力し出すと、僕の場合、多分余計に理解できない表現になっているように思う。(上から言ってるわけじゃないけど、タクシーの運転手の方に道を伝えようとするとき、今でも大概、こうなる。)

あるいは論理的には道筋は通せても、自分が無理をし続けるから、いつか破綻する。それまで如何に素で笑えていたとしても。一度破綻すると、1秒前まで「大切だ」って思っていたことさえも、「やーめた」ってなる。これも、今までの人間関係で、本当にたくさんあった気がする。


それって結局、相手も僕も、絶対に気持ちよくない。

だから、何周か回って、無理をやめた。

同じように、僕が第三者に僕が好きな人、アーティストやブランドの紹介をする時も、僕が魅力を感じていない数的要素や営業トークのような規模、順位トークは、今後しないよう心掛けている。

多分今まで、そういう「話法」で数多くの場面を切り拓いたし、チャンスも掴んできた。でも、もう今の僕はそれをやると、僕だけでなく、紹介する相手も安売りしているように思えるから。

「そう、これが俺」といつ誰にも思える自分に

文字にした情報を、例えばセミナーで、例えば打ち合わせ時に誰かに
資料を出して自分の口で語るとき、

・経歴は書いてある通りだから割愛
・順位や受賞は自分で口に出すと「ダサい」から割愛

みたいなことを結構やっていた。

今後、そういう情報はプロフィールに入れない。
入れる意味がないからだ。

評価は常に変動するものだ。

いい時も、ぱっとしない時もある。そもそも評価を得られたから良い気になるのは、僕の本質でもなければ、理想とする姿でもない。

僕がこれからも載せたい外的要因があるとすれば、自分が心から気に入っている仕事の実績や、大切に作って聴いて欲しい作品名などだろう。

「自分のことを、”すごい”と思わせる情報」なテキストは、相手からも求められていない(求められるステージで仕事しない)し、僕の経験上、数字などの評価指標で関わった仕事でいい音楽や作品が生まれることは、ない。

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本当に優れたマーケター・PRやプロモーション担当の方を相手にすれば、ビジネスの側面でも同じことが言えるとすぐに分かった。相手を納得させるために、自分から数字や学歴を指標に出して自分を語り出した瞬間に、相手が僕に感じてくれているポテンシャルに何かしら蓋をすることになる。評価の在り方まで、僕が相手に提示するものではないと気づいた。

どうしても感性のレイヤーが違う相手と対峙するなら

今の僕なら、僕自身で僕を語ることをやめるだろう。

第三者に、僕のことを説明してもらうと思う。僕が僕自身の言葉で自らを語る上で、そのアプローチで言葉を使うことは、ない。

DIYで、制作者もアーティストも、時と場合によってはマネジメント的な業務も自分でやらなければいけない方は僕だけではないはずだ。ひとりで脳を切り替えて行ったり来たり、なんてことが簡単にできるほど表現の道はシンプルじゃない。僕は僕が発信する情報に関しては、ピュアな表現を追求する。

そんな僕の、最新のプロフィール

KOTARO SAITO
アーティスト・トラックメイカー・音楽プロデューサー・文筆家

思春期をインドで過ごし、独学で作曲とピアノを取得。ピアノと弦楽器、ヴィンテージのシンセサイザーやリズムマシンを基調に、繊細さや優雅さ・骨太さを共存させた音楽を得意とする。これまでアルバム4枚をリリース。

アーティスト活動と並行してファッション・ビューティー・ジュエリーを中心としたCM音楽も数多く手がけ、楽器や音の余韻といった素材の力を引き出す作風が特徴。

またマリオット系列のホテル「アロフト東京銀座」のライブプロデュース、文筆家として音楽メディアなどへの寄稿も行うなど、広告代理店出身のキャリアを生かした発信活動も行う。

料理やインテリア、植物をこよなく愛し、Instagramでは自身のライフスタイルを映像と音楽で、noteでは言葉で切り取り発信している。

これが今、僕が思う一番フラットな僕。
改めて、よろしくお願いします。

インスタが今一番更新頻度高いです。リールを使って、僕の音楽とVlogで日々感じたことをポストしています。リンクは下記画像にも。

楽曲はこちらから。

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leift / KOTARO SAITO
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