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個性は、他人のものでは、ない。
ほんの数年前まで、
「個性的だよね」って言葉は僕にとって、
言われて嫌な言葉だった。
音楽家という世界は己の色あって初めて成立するもの。それを武器にして、自分のキャリアを築き上げてきたことも、わかってる。
でもそれでも僕は、「個性」とか「変わってる」みたいな形容詞をつけられることを、長らく気持ちよく聞けてない自分自身を感じていた。
なぜだろう。理由を考えてみた。
個性を他人に判断される感覚
まず、「個性」という言葉を改めて辞書で調べてみる。
1. 他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性。
2. 個体に特有の性質。
出典:Oxford Langages
人相手に使われる「個性」とは、1の意味合いで使われることが多いと僕は思う。つまり「他人との比較」で使われる。他の人とちがうところ、と定義された時点で、個性を評価するのは自分ではなく他者となる。
僕はずっと、自分らしさを他者に評価されるような違和感に対して、ぎこちなく、しっくりこなかった。「個性的だよね」という言葉も、「ちょっと変わってるよね」って言葉も、往々にして僕の思春期〜20代後半くらいまでの時代は「良い意味ではない何か」を含んでいた。
他人が作り上げた個性との向き合い
ここから先、僕の曲を好きでいてくれる人を
一見否定してしまうような物言いになってしまうかもしれないけれど、
決してそうではないことを先にお伝えします。
例えば僕が、常にピアノの曲ばかりを書いていたとする。数あるピアノ曲の中でも、僕が好むのは穏やかで一音一音が心に染み渡るような深い音色。そんな楽曲で、僕のことを知ってくれた人がいるとしよう。
この『Oval』という曲、そして僕の曲の中で最も再生されている『Right』という曲。僕はとても気に入っているし、それぞれ当時の自分を鮮明に書き残した楽曲だと自負できる。この楽曲で僕を知ってくれた人は「KOTARO SAITOという"ピアニスト"の楽曲が好き」という解釈をしてくれるのだろう。そう思ってもらえること自体、とても幸せなことだ。
でも、だからと言って、
僕は決して自分を「ピアニスト」だとは思っていない。
僕はピアノ以外の楽器だって自分の表現に使いたいし、むしろ今夢中なのはピアノ以上にビートやシンセ、ベースだったりする。僕が今思う、僕らしさの1番の特徴は、実はピアノサウンドではなく、ドラムとベースのパターンだったりしている。
一方で、僕が作ったボーカル曲を愛してくれる方もいる。それもめちゃくちゃ嬉しい。歌のメロディラインは、ある意味僕が作ったどのトラック(歌以外の"伴奏"的な存在)より、尊いものだったりする。
歌を機にKOTARO SAITOというアーティストを知ってくれた方は、もしかしたら右の方(はじめさん)を僕だと思う方もいるかもしれない。
それくらい、楽曲ありきで僕を知ってくれた方への僕らしさは、解釈が無数にあり、否定しても、なんの意味もないと僕は思う。
大事なのは、どう表現するかという小手先の話ではなく、
僕自身が楽曲や音楽活動全体を通じて、その時々で
何を伝えたいか。
だと強く思う。
自分が決めた自分らしさで生きていく
自分で自分の「らしさ」を規定するのは、かなりの精神力を要することだ。アーティストという人種は僕だけでなく、きっとみんな、この命題に常に対峙しながら、魂を削り出して作品を発表しているに違いない。
「他人の評価で自分を言い当ててもらうこと」は、自分の個性を浮き彫りにしてくれるとてもありがたい視点だ。
でも自分らしさは、
そんなに簡単なものではないと僕は思う。
他人の評価は、自分の一面を指し示してくれるだけ。その評価が自分にとってどの一面なのか、そしてそれが自分の芯の部分か、そうでないかを決めなければいけないのは、紛れもなく自分自身だ。
参考にはすべき。
でも、影響されてはいけない。
答えは、常に自分の中にある。
頑固ともまた、違う感覚。すんでのところで、自分が発した言葉や表現に対してどれだけ責任を持てるか、ということにも通じることだ。
表現は手段で、目的は「メッセージの発信」
自分の中にある自分らしさを体現するために、
僕は一つ、大きな方針転換を決めた。
僕はこれから自分の「想い」を発信する場所として、インスタグラムをSNSの主軸に育てていく。よかったら、覗いてもらえたら嬉しい。
リンク先は以下だ。
noteは何故かプロフィールリンクがバグる。早々に改善してほしいな。
インスタグラムについて、僕は
自らの発信のテーマを、「音楽と、ライフスタイル」に規定した。
インスタグラムの話を深く語る前に、まず
ここに至った経緯を少しだけ話させてほしい。
ここ数年、特にアーティスト活動を始めてから、SNSとの向き合いをどうすれば良いのか、ずっと悩んでいた。それはここ、noteを含めて。
今までの僕にとって、
SNS は「音楽活動を発信するためのツール」だった。
だから、どんどん自分が苦しくなるのを、見てみぬフリをしていた。
読者である皆さんも、よほど僕に興味のある方以外は、
もしかしたらそんな方でさえも、僕が自分の告知のタイミングでばかり、
自分都合で発信をしていたら、見たいものも見たくなくなるでしょう?
実は僕自身も、そんな告知ばかりの自分に、辟易していた。
だから、インスタに自分の表現を集中することに決めた。
同時に、SNSという誰もが表現できる場所に、
「想い」を込める決意をした。
(これも正しいアスペクトじゃない。改善求む。)
インスタには「リール」機能があり、表現するプラットフォームとして音楽との親和性が高い。加えて、みてくれている方々、これから出会いうる方々と僕の相性、SNS全体を漂っている「気」含め、今の自分に一番合っていると感じた。
インスタで音楽 + 日々の生活で拾い上げた美しい瞬間をポストしていくのに対して、noteはもっと概念的なこと。つまり今回のような「個性」とは?みたいなトピックだったり、
みたいな、自分が音楽を作りながら、アーティスト活動しながら見つけた「大切な"コア・メッセージ"」だけを発信していくことに決めた。
表現していく中で都度、それぞれのSNSと市況、僕自身の相性は変化する可能性がある。そしたら、都度やり方は変えていけばいい。
一番大事なのは、
大切なメッセージを、無駄なく
一番伝わる方法で、それぞれの媒体で伝えること。
だと思っている。
当然だけど、それぞれのSNSで打ち出すコンテンツは、カジュアルでいながら、めちゃくちゃ緻密に考える。残すもの、捨てるものは、楽曲制作と同じレベルでこだわっていく。メッセージを伝えることが目的で、そのための手段である表現に、どの媒体も妥協しない。
究極、残るものは音楽ではない
カジュアルに誰でも発信できる時代だからこそ、SNSも、音楽発信も民主化し、誰もが簡単に世の中に発表できるようになった。
自分でもどうかしてると思うくらい音楽制作にこだわっておいて何だけど、最後に残るのは音楽のクオリティじゃないなって最近思う。
クライアントがいる仕事の場合、音楽制作は「クオリティの追求」によって大きな評価を得られることが多いと僕は感じる。よくよく考えてみれば当然の話だ。メッセージを持つクライアントがいて、音楽家はそのメッセージの具現化を突き詰める。そこに求められるのは、(色んな濃度はあれど)究極、クライアントが伝えたいメッセージをどれだけ具現化できるかだ。
しかし、こと「個」が自らの力で生きる覚悟を決めた瞬間、音楽などの自分にとって最も崇高な創造物でさえ、僕の中では一段下の存在だと今は言える。最上段は、音楽などを通じて伝えたい「想い」だと気づいた。
音楽に関して言えば、僕はプロ。プロが、自分の作品クオリティに責任を持つのは当たり前で、それはリスナーの皆さんや関係各所への信頼担保である以上に、実は「自分自身のプライド」に大きく依拠している。
一方、こと「想い」に関しては、そこにプロだとか、アマチュアだとか、そんなツマラナイ隔たりは存在しない。SNS、特にインスタグラムでは、僕は発信者として「究極にアマチュア」でい続けようと思う。僕の音楽をBGMに、僕自身が日常生活の中で美しいと感じた瞬間を、動画で語っていく。
僕はビデオグラファーでもシネマとグラファーでもないけれど、今の僕にとって、iPhoneとリールで使っているアプリは、僕の音楽を最も僕の言葉で、僕の視界で伝えられる最高の表現手段だ。その「想い」の部分をいかに鮮度を保って、生の状態で伝えられるか。そこに、全精力を注ぎます。
そうなれて、やっと、インスタグラムの更新が、楽しくなった。
僕は今、個性的だろうか?
皆さんの答えが何であれ、僕は今、そこを気にしていない。気にしないで生きられるように、ようやくなれたんだ。
人と差を出すことが、個性の本質じゃないから。
自分という器で、自分が一番楽しく、自分の人生を好きになれれば、別にもう、個性という言葉で自分の居場所を探す必要なんてない。
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ここで冒頭で紹介した「個性」という言葉を改めて。
1. 他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性。
2. 個体に特有の性質。
出典:Oxford Langages
うん。2だね。2だと思えば、とってもしっくりきた。
自分が楽しければ、
きっとそれは誰かの評価で「個性」に映るはず。
そういう意味で、僕は今、
最高に楽しい。
KOTARO SAITO / 齊藤 耕太郎
アルバム『STELLAR』。
— Kotaro Saito / 齊藤 耕太郎 5.28 ALBUM STELLAR (@kotarosaito1211) May 27, 2021
🎧⏬https://t.co/sj4jPBJHyp
長期化するコロナ禍。
ステイホーム疲れ。
SNSやニュースに飛び交うマイナスなワードの数々。
日々を生きることは、簡単ではない。
でも、社会を変えられなくても、
実は「自分の幸せはDIYできる」。
そんな想いで作りました。 pic.twitter.com/3uZXzolzjW
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