ベータ版の自分、はじまり。
一言で今の気持ちを書くとすれば、僕は
つい先日まで、歌い手として「弱さ」にフォーカスして曲を書くと言い続けてきた。確かに、そういう一面はとても僕を豊かにしてくれたし、何より「歌う」という行為そのものが、自分に無駄にこびりついた垢のような自尊心を、脱ぎ去る大きなキッカケになった。
でも、この1ヶ月、毎日のようにバタバタと動きながら思った。
って。自分を認めることの方が大事な過程であって、「弱いこと」自体は一時的で、僕自身を支配するものではない。そう思えたから、最近は多少気持ちや体に無理をしてでも、前に進むべく「考える前に動く」ようにしてる。
自分を硬くしていたもの
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以前の僕は、自分が緊張していることに気づけないレベルだった。
知らず知らずのうちに声をこわばらせ、
人当たり良くしようと努めても目線を合わせられない。
自分が太っている、自信がない、という想いを、
黒や原色など強めの印象の服を纏う。
まるでそれは、防護服だった。
当然、声も防御仕様。呼吸が浅くなり、どんどん喉元で無理やり発声し出す。家に帰るなり、「はぁ・・・。」と深いため息をつき、ベッドに転げ落ちていく。そんな毎日はとても肩が凝ったし、しまいには疲れていることを自覚できていなかった。
フリーランスにとっての「無動の一年」
はっきり言って、苦しかった。
気持ちでは働かなくちゃと思っていたのに、たまたま、納品から発表までかなり時間が空いた仕事も重なり、対外的に発信できる事柄が、どんどん僕から消え去っていった。
2020年〜2021年。
僕は「コロナなんて関係ない」と言わんばかりに、アルバムを2枚作って、ワンマンライブをやって、いろんなコラボも動かして、引っ越しもして結婚もしてと、公私共に走り続けた。
とにかく、止まったら負けだと、
「何に負けるのか」も考えず、動いていた。
それはコロナ禍の2年間だけでなく、もしかしたら博報堂を独立して以来、ずっとそうだったのかもしれない。動きを止めたら沈没するって、分かっていたからだろう。
そんな自分が、仕事を始めて以来、全く手が動かせなくなったのが、2021年の6月。そして、のちにleift(レフト)という名義をつけた、歌を始めたのが8月だ。この頃の混沌は今でもよく覚えている。
というより、
忘れたくても記憶から離れない。
くらいの強烈な「辛さ」だった。
つくづく思う。それまでの自分って、
行動で自分の気を紛らわしていたんだなって。
歌を始めるという行為は、
僕を「恥ずかしくて人前に出られない」と引きこもり状態にした。
1年足らずで歌をリリースにまで持っていくというのが、プロからしたら如何に無謀かはあえて説明しないけど、逆を言えば抱いた劣等感に耐えられる限界が、僕の場合1年弱だったのかもしれない。
とにかく、フリーランスという立場で対外的に動きが全くない1年は、色んな意味で辛かった。もう一生、こんな情けない自分は経験したくない。
歌に至った直接的なキッカケ
僕がこの壮大なチャレンジに挑むことになったのは
「歌で世界を変えたい」「歌でスターになりたい」などの、
規模の大きな野望があったからではない。
確実に「勝てる」見込みがある、
堅固な戦略があってのものでも、勿論ない。
歌は僕にとって、極めて純粋に
「表現したい"テーマ"を形にするために、必須だったもの」だった。
ベージュの服
僕は前述の通り、外に出る時は勿論、家にいても暖色の柔和な色味の服はきたことがなかった。黒やネイビー、グレーが自分に似合うと思っていたし、気持ちを上げたい時は原色系の派手な服を好んできていた。
その典型が、このあたりの頃の僕。
今見ると、自分でも笑ってしまうくらい、威圧感がある。「とても、この雰囲気でピアノソロを弾いているとは思えない」と出会ったばかりの頃の嫁に言われていた時期だ。
きっかけは、
ずっと良いなぁと思っていた
BURBERRYのバケットハットを買ったことだった。
この頃の気持ちを克明に残したインタビューがある。よければこちらも。
帽子と、靴。ベージュという色に出会い、僕はだんだんと、
そんなふうに思うようになった。
他人にとっての「新しい」より
ベージュの服を着るようになって、僕はそんなことを思った。その挑戦が、自分の次の扉を開きうるものなら、それが客観的に何の変哲もない存在に見えたとしても、大きな価値がある。そう思えば、何に挑んだって良い。
僕はそう思えた瞬間、次に作りたい作品が見えた。
そうだ、アルバムのタイトルを『Beige』にしよう、って。
当初は
僕はあくまで「プロデューサー」として、アルバム『Beige』を作ろうとした。インスト中心の楽曲スタイルだった僕が、今まで作ったことがなかった、「全曲シンガーをfeat.したボーカル・ポップアルバム」を作ろうって。
僕はすぐに、一番feat.で参加してほしいと思ったシンガーの方に、アルバムに込めた想いをプレゼンし、歌ってほしいとお願いした。そしたら、
即答で断られた。
「マジか・・・」と心の中で思っていた矢先に、言われた。
・・・いや、そうなんだよ・・・。
何にも言い返せなかった。
というのも実は、アルバム制作概要の最後に、
「曲によっては僕が作詞と歌に挑戦する」という一文を、
何度も書き、消していた。
見透かされたように、「KOTAROさんが歌った方がいい」「1人で完結させた方がいい」と言われた時に、僕の指針は決まった。
シンガーの皆に代弁してもらうことで、自分の素を自身で表現することから逃げようとしていたんだ。自分について描こうとしているのに、だ。
逃げずに、自分でやってみよう。
そう思えた瞬間に、薄れ始めていた音楽作品への興味が
湧き上がってきたのを今でもよく覚えている。
プロデューサーから、シンガーへ
そこから先の出来事は、苦しんでいる最中にたくさんnoteにも書き残してきたので、それらを読んでもらえたら嬉しい。(今じゃなくていい。興味を持ってくれたら、この記事を読んだ後にでも。)
僕の目的は、とにかく2021年の8月に打ち立てたアルバム『Beige』を完成させることだった。もう、本当にそれしか頭になかった。
毎日、できないことをできるようになるために歌の練習して、曲の作り方も根本から見直した。編曲に頼らず、トップライン(歌のメロディ)と歌詞で音楽を引っ張る、それまでの自分にとって未知な作り方を試していた。
当時の心境を、リアルタイムにnoteに残せなかったので、ストーリーズに残っていたものをいくつか載せておく。
今見返しても、
当時の切羽詰まった気持ちが克明に蘇る。
3ヶ月くらいのスパンで、少しずつ出来ることが増えていった。そう言いつつ、僕は歌のことを忘れた日は1日もなく、毎日練習に明け暮れては曲を書いていた。曲を書いても形にできないことなんて、プロになってからは記憶になかった。「立ち止まることをせず、とにかく行動!」そう思えていた頃は、今思えば気楽なものだったのかもしれない。
一生残る、言葉と歌
歌詞を書き始めたことは、僕を確実に進化させた。
自分の歌を作るとなって、改めて、その気持ちが強くなった。
アルバム『Beige』は、
僕が過ごした大きな変化を形に残すモノローグのような存在だ。
自分のこととなれば、尚更
「一生形に残って、後悔のない言葉を紡ごう」と思えた。
シンガーになって得た、プロデュース力の進化
「アレンジしては、捨て」の繰り返し
僕は比較的、リテイクの少ない音楽家だった。めんどくさいからじゃなく、一瞬一瞬のバイブスが正義だと思っていたからだ。
あまりに沢山のトラックをこの一年、同じ曲のために作り続けていた。そのおかげで、僕は去年より遥かにトラックメイクが上手くなったと思う。
アレンジ面では、不要に音色を重ねることが、本当にない。「重ねて空気を作る」という"埋め"の作業を、一切やめた。自分のボーカルテイクの活かし方を、見つけられたのも大きい。トラックに頼る比重が、大きく減った。
そして何より、シンプルな音数で最大出力を得るためのミキシング。今、僕の楽曲は過去最大にダイナミックに鳴っている。無駄なく、必要なところにだけ強いパワーを宿すミックスだからだ
その成果は、このnoteの最後に紹介する楽曲に大きく出た。
是非、最後まで読んで曲を聴いてほしい。
あの頃から1年経った、今
6月・7月・8月にリリースした3曲がある。
それらのタイトルに「α(アルファ)」という文字をあしらった。
これらの楽曲は、僕にとってアルバム『Beige』で描く世界へと、到達する手前の物語だった。不安定な変化の黎明期。これらの楽曲を、言葉が悪いけれど「踏み台」にして、僕はシンガーとしての自分らしさを見つけ始めた。
「α」から「β」へ
leiftとして、いよいよアルバム『Beige』で描こうとしている僕の世界を、皆さんに共有できる日がやってきた。leiftは当初
というコンセプトを掲げて楽曲をリリースしてきた。今の気分を率直に言えば、僕はもう「弱さ」を切り口に自分のことを語るのは、終わりにしていいかなって思えてる。
むしろ、これから僕が目指すのは、
自分にとって新しい「強さのあり方」を形にすることだ。
緊張することで自分を強くしようとしていた頃とは違う、力を抜いた状態から、必要な瞬間だけ最大速度で振り抜くような強さに。それが、今の僕にとっての強さだ。そのために僕が自分に課したのは、
力を抜く方が、実はとても難しい。でも僕は歌に出会って、力を抜いた状態でしか出せない音域があることや、力が抜けてないと安定しない声の状態など、主にフィジカルの部分で自分の変化を感じられるようになった。
今僕は、力が抜けた状態から、徐々に力を入れて加減を探る段階にきている。新しい「入魂」のあり方を、曲を書きながら、文章を書きながら、日々の事務作業や人との会話の中においても、常に探り続けている。
意識するだけで、不思議なほど「視野」が変わるのが、生きることの面白いことだと最近思う。歌を始めて運動の必要性を感じたり、喉に負担をかけないように会話の緊張を解いたり。客観的にも分かる自分の大きな変化って、実は「些細」を積み重ねていった先にあるものなんじゃないか。
緊張が解け始めた自分
前半で僕の昔のアー写を見てもらったかと思うので、
今の僕を改めて見てもらえたら嬉しい。
6月に、シンガポールのアラブ街で撮影したこの写真。ちょうどleiftとしての最初のシングル『bleach』をリリースしたばかりの頃。
「俺、どうなるんだろう・・・」と不安に肩をすくませていた自分とは、違うステージにいられているんじゃないかって僕は思う。撮影してくれたDerrickとは初対面だったけれど、不思議と、カメラの前に立つなり心が通った気がした。ありがとう。また、必ずシンガポールに会いにいくね。
一歩踏み出して、思うこと
こんな一節を、歌詞に記した。
光の兆しさえ見えてしまえば、僕にとって壁は、そんなものだった。
まだ完全に登り切ったわけではないけど、
多分、もう残り数合程度で、景色くらいは見えてくる気がしてる。
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一歩踏み出す重さを嫌ってほど味わった今だからこそ、僕は翻って、「あとはもう、やりながら考えたり成長すりゃよくね?」って思ってる。成長は誰のためでもなく、自分がしたいからするもの。僕は今、一旦自分が望むメッセージと音楽は作れている。そこから先を磨くのは、僕自身の興味関心であり、誰かの目を気にするところではない。
ここ1年は前者に傾倒しまくってきたけど、そのおかげで、新しい「onの形」を作り出すことができた。攻撃力を出すところは、最後の一瞬だけでいい。そんな想いでいられるから、僕は心の言葉で気持ちを書けている。
元を正せば、僕にとってのきっかけはベージュという、何の変哲もない「世の中の定番色」だった。その当時の景色の広がりは勿論、思い返せば精神のフィールドも、この1年で大きく広がった。
大事なのは、誰かにとっての定番かどうかではなく、その定番が「自分だけの色」だって思えること。今は、自信を持ってそう言える。
聴いてください。
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