父の代わりに
1月11日。 小太郎15歳と8ヵ月ちょい。
昨日、もう少ししたら夕方のお散歩に行こうかな、と思い、誰かが小太郎の上にかけた毛布をめくったら、立派な💩が、、、オムツしてるのにどうやって漏れたんだろう(笑) 体調を崩した昨年末からトリミングに行っていないので、伸び放題の毛にずいぶん絡まってしまい大変なことに😅 そこからお風呂に入れて、風邪引かないよう乾かして、お散歩へ。
そんな昨日のエピソードを電車の中て書いていたら、息子からSOSのLINEが。
「コタが下痢してて💩が漏れて大変なんだけど💦」
、、、夕飯の買い物もそこそこに、ダッシュで帰宅し、後始末。 でも次男君頑張って新しいオムツをはかせて(お尻は汚いままでしたが(笑))、大量のトイレットペーパーでどうにかその場をしのいでくれてました。 明日また絨毯洗濯だな🌀👕
なんかずっと💩の話ばっかで申し訳ありません💦
でも、実際小太郎の老化で何が一番大変かと言えば、私の場合はこのままならないお下のお世話かもしれません。 これは想像なのですが、きっと人間の場合でもそんな感じじゃないかな、と。
ゴミの日、うちは犬用オムツを沢山捨てますが、2軒先の老夫婦のおうちのゴミには、大人用オムツのパッケージが沢山あって、あぁ、一緒だなぁ、大変ですよね、お互い頑張りましょうね、と勝手に心の中で共感したりして。
そもそも小太郎が我が家にやってきたのは、飼い主であった私の父が急逝したからなのですが、「急逝」という言葉が本当にふさわしい、家族の誰もが予想だにしなかったタイミングでのサヨナラでした。 なので、文字通りの「孝行したいときに親はなし」状態に陥りました。
私は特別に親不孝をしてきた訳ではないと自分では思ってるのですが、もう少し子育てが落ち着いたらそのうち親孝行しよう、と呑気に構えていたので、本当にしばらくは後悔で泣いてばかりでした。
そして、その父が冷たい娘よりも何よりも可愛がっていたのが、小太郎でした。 毎日朝晩の散歩は欠かさず、それは彼も予想していなかった最期の日の朝も同じでした。
父が亡くなって小太郎を引き取った時、どこかで、あ、これでパパに出来なかった分の親孝行(?)ができるかも、と思いました。
もし父が生きていたら80過ぎで、今の小太郎と丁度同じくらい。 勿論本当のお年寄りの介護の大変さとは比べ物にならないでしょうが、こんな風に小太郎のお世話に手がかかればかかる程、父に対して何も出来なかった自分の罪悪感が軽くなっていくような気がしてます。 勝手な言い分ですが😄