『多様性』は口に出して言ってはいけない
多様性という言葉は、今やビジネスの場で定着したマジック・ワードとなっている。
多様性と口に出す言動こそが、多様性という状態から最も遠ざかる行為なのではないかと思う。
何故なら、多様性を他者に強いることは、多様性を自ら否定しているようなものだから。「お前みたいにさ、人に対して『お前』って言う人嫌いなんだよね」と言っているのと同じ状態。
じゃあどうしたら『多様性』がある状態(環境)を作れるのだろうか。
多様性ってなに?
話を先に進める前に、言葉の定義を確認しておこう。
「多様性」とは、
いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
英語では、diversity(ダイバーシティ)が最適な言葉。ダイバーシティも上記と同義としよう。
闇雲に叫ばれる「多様性」のはじまり
多様性(ダイバーシティ)という言葉が、一般的に広く使われるようになったのは、2010年くらいだろうか。
中学生の頃、朝会で校長先生が「ダイバーシティを大切にしよう」と、何度も繰り返し言っていたのを覚えている。
実際はさらに前の時代から、多様性という考えは社会的側面で浸透していた。
そもそも、多様性を推進する考えはアメリカから始まったことである。文化・宗教・人種が混じり合う国だから、取り入れざるを得ない環境だ。
日本で最初に取り入れられたのは、1985年に制定された「男女雇用機会均等法」(当時の名称は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」1997年現在の名称に改正)だろうか。
初めは、社会的側面で用いられた言葉だったが、徐々に同様の考えがビジネスサイドに浸透していった。
多様性という考えを、経営に取り入れた企業業績が向上する、という事実はあった。ただ、成果があがったのは、多様性を実現するために具体的な施策に落とし込んで実行していたからだ。
業績が向上している事実だけを見て、とりあえず多様性が大事らしい、と理解した社会では、
「多様性を尊重しよう!」「私たちは多様性を大事にしています!」と声高らかに主張する企業・人が増加した。
ニューノーマルを浸透させるためには、とにかく言い続けること自体が大切だということは分かる。
何十年か過ぎた今、まだ「多様性が大事だ」と堂々と言い張っている人がいて、多様性という言葉自体なくしたほうがいいのでは、とさえ思う。
"SDGs"というワードも類似した現象が起きつつあるように思える。
多様性の押し付けは多様性ではない
私は、けして多様性という言葉を否定したいわけではない。
むしろ多様性がある社会は素晴らしいと思うし、様々なメリットがあると思う。だけど、「多様性という自らの考えを人に押し付けるのは違くない?」ということだ。
辞書の定義に基づけば、考えの押し付けは、いろいろな種類を排除することにつながっている。
「多様性って大事じゃん!!なんで他人の考えを受け入れられないの!!」と叫ぶ人は、多様性を全く体現できていない。
自分を綺麗に飾る言葉として、多様性というワードを使っているだけではないか。
じゃあ、最初の疑問に戻って、どうすれば「多様性」を実現できるのか。
「多様性」という言葉を再定義して行動する
ことが良いと、私は思う。
あなたにとっての多様性は?
「多様性」という状態を実現したければ、「多様性」という言葉を口に出して使わないこと。
多様性がある状態を作ることが目的で、
目的を達成するための手段(行動)に、「多様性を大事にする」ということを言ってしまうと、何がしたいのか分からない状態になってしまう。
手段の中に、目的が入ってしまっているから。
だから、
①多様性がある状態を別の言葉に再定義する(置き換える)。
②再定義した状態をゴールとし、ゴールを実現するために具体的にどんなことをすれば良いか、考えて実行する(させる)。(聞いただけで、すぐ行動に移せる内容が理想)
の2ステップを踏むことで、多様性がある状態に近しい環境を作ることができると思う。
最終的に、多様性がある状態だと、結果として確認できれば良くて、
初めから手法として使ってはいけないのだ。
実際に実行するとなると、一筋縄ではいかないと思う。
しかし、多様性という言葉を口に出すより、よっぽど近道だと思う。
まずは、多様性という言葉を、口に出すことをやめよう。話はそこからだ。
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