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雑記#4 家と城

こんばんは。

前回の記事では、人間関係や社会において見られる「横と縦のつながり」について、なかでも「横のつながり」を構成する「遊び場」と「社交界」についてお話ししました。

まだ読まれていない方は何のことだかよくわからないと思いますので、ぜひこちらの記事を読んでみてください。

今回は、「縦のつながり」にフォーカスした後に、私がなぜこんなふうにして人間関係に満ちる愛すべき混沌を偉そうに分解しようとするのかについて、かんたんにお話しできればと考えております。

その前に、かんたんなおさらいです。

私たちは自らの意志で、この人と仲良くなりたい、この人たちの仲間に加わりたい、などと感じ、実際にそうなろうとします。

私はこのベクトルで生じる関係性を「横のつながり」と呼び、黄道十二宮における牡羊座と天秤座の軸に当てはめてみました。

片方の極に位置する牡羊座的つながりは、「遊び場」という象徴でイメージすることができます。
「遊び場」では、私たちは裸の自分が気の赴くままにつながりを選び取ることで、自然と関係性が生じます。

対極の天秤座的つながりは、「社交界」という象徴でイメージすることができます。
「社交界」では、私たち個々人が仮面を創り上げ活用することで、より幅広く豊かに関係性を展開していきます。

どちらも、個人の自由意志で能動的に築き上げていく関係性であり、これが横のつながりの特性です。

人とコミュニケーションをとる際、この「遊び場」や「社交界」を展開する力が強ければ強いほど、あなたは自由に好きなように人間関係を広げ楽しめるようになり、人間関係の新陳代謝も活発になります。

これが「横のつながり」にはたらく力なのです。


一方、「縦のつながり」は、受動的に築かれていく性質を持った関係性です。

受動的に築かれていく関係性とは、自らの意志の如何にかかわらず、避けようとも自然と築かれていってしまうような種類のつながりです。
一体どういうことでしょうか。

やはり鍵になるのは、人間という生き物の抱えるネイチャー、本質的な性です。

例に倣って思考実験を使って紐解いてまいりましょう。

まずは純粋無垢な子どもたちにお腹いっぱい食べさせ、たっぷりとお昼寝をさせてから野に放ちます。

子どもたちは、思い思いに好きなことをして楽しく時間を過ごします。
けんかもしたりするかもしれませんが、総じて、ありのままの個性が自然とつながりを求め、関係性が生まれていきます。つまり、「遊び場」が展開されていきます。

しかし、そんな楽しい遠足気分も長くは続きません。そのうち限界が来ます。永遠に自由にありのままで、好きなように人と付き合い続けることは原理的に不可能なのです。

はつらつと光るたくさんの個性が飛び交う野原に居続けると、人はやがて、自己の個性の光をぼんやりとやわらげ、融和させて、互いを受容し合う関係性の中で、安心して過ごしたくなるものです。

言い換えると、私たちは信頼ができ、心の底から共感し合える人と、共に受け入れ合い、心の底から安らぐことのできる場所を求めているのです。

この受容と安心という避けられない無意識的な欲求から生じるつながり。
これが、「家」において生じる現象です。

私はこの「家」という象徴に蟹座の代表する性質を感じます。

元来、群れで生活する生き物である人間は、集団行動をする上での最小単位のつながりを常に必要としています。
それは言わずもがな、太古の昔から今に至るまでずっと、独りで生きていくことによる不便や危険、ストレスがこの世界には満ち溢れており、周りの人と資源や情報を、能力や愛や親切心を共有した方がずっと生きやすいからです。

大昔から変わらぬ生活を営んでいる少数民族の集落では生活の最小単位が家族や一族となっているケースが多いのも、厳しく長い旅路には、独りより集団で行動を共にしたほうが良いのも、辛いときや寂しいとき、人の温もりを求めてしまうのも、どれも同じ理由だと思います。

それを本能的に知ってしまっている以上、私たちは「家」において生じるつながりに、否が応でも引き込まれていってしまうのです。



その対極に位置するのは、「城」です。
この象徴には、山羊座の代表する性質が表されます。

周りと親密で安定した「家的つながり」を保つことができれば、他に求める居場所はないような気がしてしまいますが、「城」も同様、人にとって避けることのできない、重要なつながりのひとつです。

ここで、いかなる土地や地域にも軒並み小さな家々しか存在しない並行世界を想像してみてみてみてください。

家の中に住む人々はそれぞれ何人かの集団で自立し完結した生活を送っています。
だから街はなく、ただ転々と、関東平野にも、オーストラリア大陸にも、チベットにも、どこもかしこも人の暮らす小屋や家がただただ点在しているだけなのです。

いま私たちの暮らすこの地球とはかけ離れた光景ですよね。

私たちの暮らすこの世界にはどういうわけか、神殿があったり、エンパイアステートビルディングがあったり、病院があったり、国会議事堂があったりします。
これらの建造物は、私たち人類が長い歴史を経て築き上げてきた「城的つながり」のいわばシンボルのようなものです。

私たち人類には、小さな集団からより大きな集団へ結合していこうとする習性があるみたいなのです。

より大きな獲物を狩りたい、よりたくさんの作物を蓄えたい、もっと効率的に道具を作りたい、外の世界の脅威から自分たちを守りたい、もっと楽に安定して暮らしたい。よし、協力しよう、役割分担をしよう、秩序を築こう、発展しよう。
太古から人々はそのように考え、そして実際に実現してきました。
私たちはそのようにして築かれた大きな「城」の上に住んでいるのです。

この発展と秩序を求める深層心理から生じるつながり。
これが、「城」において生じる現象です。




さて、これで

・遊び場
・社交界
・家
・城

という4つのフィールドが出揃いました。
ここまで読んだくださった皆様、お付き合いいただきありがとうございます。

ここまでお付き合いいただいた皆様が気になるのは、これら一連の説明によって何がもたらされるのか、ということなのではないかと想像します。

拍子抜けをさせてしまったらたいへん心苦しいのですが、
前の記事と合わせて約7,000字の文章を読むことで皆様が手に入れたものは、四つの「比喩おもちゃ」です。

日々の生活の中で生じるコミュニケーションの中で、現実の人間関係の真っ只中にいるときや社会のうねりを感じた時、うまくいけばこの「比喩おもちゃ」が何かのインスピレーションや気づきのきっかけになるかもしれない、と私は考えています。

占星術には、ドラえもんのポケットのごとく、この「比喩おもちゃ」が無限に詰め込まれています。

私はこの世界に浸透している摂理や大いなる流れ、そういうものを感じた時、どうにか楽しく遊べるものにしたいなと考えてしまいます。

子どもが藪からいい感じの棒を引っ張り出してくる時の感覚に近いかもしれません。
そういう理由で、こんなふうにして宇宙のカオスからいい感じの棒を見つけ出してはほらどうだいってやりたくなるのです。

占星術だけでなく、哲学や人文学、芸術に対しても同じような感覚を持っています。


ゲーテの描いた色彩環


だからなのかはわかりませんが、畏れ多くも、色彩の神秘に魅了されて色彩環を描いたゲーテやその他たくさんの偉人に、勝手ながら共感に似た感覚を抱いたりするんです。

そして私はその感覚に至福を感じることを喜ばしく思います。
皆さんにも少しでもそういう感覚が伝われば幸いです。

また何か気づきがあったら、ここに雑記として記していきたいと思います◡̈

では、また!


p.s
牡羊座=天秤座は、1ハウス=7ハウス、あるいはアセンダントとディセンダントに、蟹座=山羊座は、4ハウス=10ハウス、あるいはICとMCに置き換えられるかもなあと思ったりしますが、そのあたりの厳密さはいったん脇に置いておきたいと思います。
まずはざっくりと想像して表現して楽しむのを先にやりたいからです。ね。

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