『DOGMAN ドッグマン』ネタバレ考察:なぜ女装した?最後のシーンの意味,あらすじ解説
リュック・ベッソン監督の『DOGMAN ドッグマン』を鑑賞。犬たちとの絆で結ばれる女装した男・ダグラスの生涯を描く。海外では賛否両論だけど、自分は凄く好きで、『レオン』とか『フィフス・エレメント』に及ぶかわからないが、近年のリュック・ベッソン作では1番好き!
あらすじと感想
ドッグマン=ダグラスは、少年期に闘犬用の犬を育てている父親からの虐待で犬小屋に閉じ込められる。そうして犬との絆を深めた。しかし父親から銃で撃たれ半身不随に。ダグラスは施設で過ごしたあと、女装してキャバレーで歌いつつ、犬たちとともにアウトローの道を歩み始め、いつしか人々は彼のことをドッグマンと呼ぶようになった。
主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズが魅せる独特な雰囲気が極上。
「犬がミッションインポッシブルして盗んだりアクションしたりするのが非現実的だ!」という意見が多いけど、それこそ犬を舐めている証拠というか、そういう姿勢はダグラスの父と同じ!というメッセージがあると感じた。多様性の極地を示したコンセプトに優れた作品。
ラスト結末と考察:キリスト?
最後にはまさかのドッグマンが〇〇してしまう。女装して犬を従えるドッグマンは普通の人間とはかけ離れた存在だと考えてしまうが、実際は彼と犬たちにこそ真の人間性が宿っているのかもしれない。現実離れした設定だが胸をえぐるテーマがあった。
次のページではラストシーンの意味、ドッグマンはどうなったのか?女装した本当の理由、ドッグマン=キリストの考察をしていく↓