感情迷子。
感情迷子になる時がある。
最近、noteを更新しようとすると、突然言葉にできなくなる時がある。
noteのネタが思いつくのはボーッとしている時がだいたいで、そんな時は読んでいた本とか、見ていた映画とかドラマとかを頭の中で反芻している。
あの登場人物のあの時のセリフの裏には、こういう意図があったのかな。なんて裏を読んでみる時もあれば、ストレートに感動して共感している時もある。
そんな事を繰り返しながら「じゃあ自分が同じ状況にいたらどうするのかな」って考えてみるのだ。それを深く考察していくと、noteのネタになる。
生きていく上で大切な事に気付けたりするからね。
だから普段小説を読まない人は是非読んで欲しい。
時にビジネス本や自己啓発本よりも自分と向き合う機会をくれる。
おすすめの3冊をこのnoteの最後に記載しておくよ。
だけど、いざキーボードを叩き始めると、書けば書くほどに新しい考え方とか感情が生まれてくる。「こうじゃないか。」「いやいや、こういうことだよね。」そうなると言葉にしたいのに、言葉に出来なくなるのだ。
端的に言えば、考えを整理出来ていないだけなのだろうけど。
その状態を僕は「感情迷子」と呼ぶようにしている。
でも迷子はいつか見つけられるのだ。大きなデパートで迷子になった子供を探していたら、館内放送が流れて迎えにいけるように。
心の中に本当の気持ちを見つけようとすると、どこからともなく声が聞こえてくる。そしてひとつの答えに辿り着くのだ。
そのひとつの答えが正しいのかなんて分からないし、別に正解を求めたいわけでもない。自分なりの解釈を見つけて、自己納得をしたい。
それが作者の意図を違ったとしても、その作品を僕がどう受け取るかは自由なはずだ。少なくとも僕のnoteを読んだり、写真を見てくれた人が様々な意見を持ってくれるのは非常に嬉しく思う。なんならどう思ったのか、感想を細かく聞きたいくらいだ。賛否両論、知りたい。
僕はその「感情迷子」の状態が嫌いじゃない。その時間が長く続いてしまうと疲れてしまうけど、半日や1日程度の迷子ならずっと考えていられる。いや、考えていたいと思う。
小説や映画は、自分ではない誰かの人生を疑似体験する事ができる。それがフィクションである場合はなおさら感情移入ができる。フィクションであれば、それは現実世界の誰一人とし経験した事のないものだから、先入観がなく「自分だったら」に浸れるのだ。
現実的にはあり得ないようなフィクションであっても、その疑似体験を通して、自分の深いところにある感情に気づく事ができることもある。そしてそれに気づく事によって、日常生活で芽生えてくる感情にも敏感になれるのだ。
嫉妬や怒りなどの一般的にはネガティブに捉えられやすい感情にも、自分自身で気づく事が出来たら、それは武器になる。その感情に翻弄されずに、コントロールする事が出来る。
自分をコントロールしたいと、自分の意見をハッキリと持つようになった高校生くらいの時から思うようになった。それはなかなかパーフェクトに出来るものではないけれど、年齢を重ねるごとに冷静に自分を見れる機会が増えてきていると感じる。
それはたぶんだけど、「感情迷子」のおかげだと思う。
感情迷子でいろいろなフロアに顔を出して、行ったり来たり、時には行き止まりにぶつかったり、袋小路に誘導されて身動きがとれなくなったりする時もある。
スムーズに自分の中の答えに辿りつけるような時もあるので、そういう時はスーパーマリオの1つのステージをミスなしでクリアできたような爽快感もある。
そんな事の繰り返しで、人は成長していくのではないかと思う。
そう思える時点で、自分の視野が広がっている事にも気づく。
自分だけの人生は一回きりで、自分だけの一回では、僕らが学べる事はあまりに少ないのではないだろか。疑似体験からの感情迷子で、成長する事ができる。
noteで言葉に出来ないその時間こそが、確実に僕らを成長させてくれる迷子期間なのだろう。毎日noteを更新するようになってから、自分の感情により深く気付けるようになってきたと感じる。
感情迷子になってみるといい。
ちょっとだけ寂しくなったり、辛くなったりする時もあるけれど、それはなかなか面白いものだから。
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人生は自分の選択で、それは全て必然なのだと、そう気付けます。
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