原点にして頂点
オリジナルの作品が、どんどん生産されていく世の中。
個人の好みの問題があれど、素晴らしい作品 や 凄い作品が生まれている。
そこで思ったのが、原点こそが 頂点 なのでは ないかと思うのだ。
何事も何かの原点から作品が生まれる。何かの原点に自分のアイディアが
加わった瞬間に、新しい原点 (新しい作品) が生まれる。
これが、四文字熟語でいう温故知新ということでは ないだろうか。
僕は作詞をしているのだが。僕の原点は「Mr.Children」
「BUMP OF CHICKEN」、「RADWIMPS」の方々だ。
創作の原点は、自分の好きな人の作品 や 自分の好きなモノ を真似ていき、
そこに知識と経験を積んだ自分の考えを表現していくと、新しい作品が
出来上がっていくのだ。
その出来上がった創作物は、他人がそれを見るときの状態
(知っているか、知らないか) で、受入れ方が違ってくる。
新しい作品とされる 出来上がった創作物の
原点を知らない人が見たときには、「新しいな。斬新だな。」と感じるが。
原点を知っている人が見たときは、「あの原点の派生版だ。」と感じる
こと と思う。
そして 原点 と 新しく作った作品 のイメージが 離れていれば離れている程
オリジナルとして認められやすいが。
この差が近ければ近い程、盗作の扱いをされやすいわけだ。
分かり易い例をあげると、中国のディズニーキャラクター や ポケモンが
盗作だと騒がれていたのがイイ例だ。
別に中国を擁護するわけでは ないのだけど。盗作だって、
原点に近いというだけで、相違点は必ず あるわけだから。
オリジナルと言えば オリジナルなのだ。
ただ、オリジナルと認められないのは お金が大きく絡んでくるからだと
思われる。それと著作権の侵害というのが根強く沁みついている。
これが悪いとか良くないとか、そういうことではないのだが。
少し考えてみてほしいのだけど。中国がポケモンのキャラクターを
パクったことにより、中国 内ではニュースで知れ渡り。
日本でもニュースになることで、ポケモンを知らなかった人達にも
知れ渡る。 更には「パクりだ!卑怯だ!悪だ!」と騒ぎ立てる人達が
出てくるので。それが、SNSを通して拡散されていき より広まっていく。
これは紛れもなく広告になっているのだ。現在の常識では、広告して
もらう為には お金を払って広告して貰うのが 当たり前だ。
ところがパクられては いるものの、勝手に広告をしてくれているの
だから無料なのだ。
無料で広告になっている上に、広告の範囲も世界規模なのだ。
「何を言ってるんだ?」と思う人もいるだろうけど。
ネットで調べると、ごろごろ情報が出てくるという事は、
事実として広まっている証拠だ。
こうなってくると、逆にパクって貰った方が 広告効果が高いという
ことになる。誰がオリジナルを作ったかさえ しっかりと証明があれば
こちらの方が おそらく収益は上がることだろう。
ただ、これを「有り」とするか「無し」とするかは、著作権を
所持している人の判断によりますけども。
大きく脱線してしまってるので、話を戻すと 原点を作った人が
一番 凄いのかなと思うのだ。勿論、原点から派生して作られた作品にも
素晴らしくて、凄いと思わされるモノは 数 多くあるが。
やはり、原点を作り上げた人がいるから、その派生にも素晴らしい作品が
生まれるということだ。
だが、原点(一番最初)を求めれば求めるほど。最後は宇宙規模にまで
遡ってしまい宇宙人がどうのこうのという妄想話で幕を閉じる。
例えば、人間の誕生は いつからだ? という問いには、諸説あるが
猿からの進化論で言えば、猿の前は何だろうか?
爬虫類 や 小動物、または恐竜だったのか。もっと遡ってみると、
海から生命が誕生したとされる微生物だったのか?
地球の誕生は、本当に隕石の衝突の繰り返しで出来たのか?
などと、最終的には宇宙規模になってくる。
こういった哲学的な話は、研究者の人達が日夜 解明しようとしている。
どこまで解き明かされるのか、とても興味が沸いてくる。
なので、原点が頂点なのでは ないだろうかと思うのだ。