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田舎な一日

時々、客観的に見てもものすごく田舎暮らしをしているなと感じることがある。いや、感じるというか、絶対にそうなのだ。
棚田のこと、神社のこと、キャンプ場のこと、地域の仕事、消防団のこと、などなどなど。移住して8年が経ち、地域から信頼してもらえているからこそ増えた仕事もある。そしてそれは、地元の人でもなかなかこなしていないことが多い。

(移住の経緯などはこちらにまとめたので、よければまたどうぞ!)

なんといっても今日は、獅子舞を市内の小学生向けに披露するという自治体案件もあったのだ。地域の伝統芸能について触れる機会として、文化ホールに各校の小学生たち100名以上が集まり、獅子舞を見てもらった。

獅子舞は、神社の秋祭りの際に披露するもので、5年ほど前から担当している。

ただ、わたしの暮らす集落もそうだったのだが、高齢化と人口減により、獅子舞が継承されなくなった地域も多いようで。実際に今回見てくれた小学生たちも、初めて見る人も少なくなかったようだ。

そんなこどもたちに向けての獅子舞の披露。わたしが小さいころにもあった、社会科見学のようなもので、その道のプロのような人が見せてくれる、芸能の披露。まさか自分が、披露する側になるとは思ってもいなかった。自分でいいのだろうかと思わなくもない。もちろん、本気で取り組んでいるが、プロかと言われると少し違う気もする。仕事というよりは、地域のお祭りで担当している、地域の役職の一つなのだ。だから、ちょっとだけ、自分でいいの?と思ってしまった。

けれど、いざ披露してみて、杞憂だったかなと気づく。獅子舞の中ってものすごく視野が狭く、わたし自身視力が悪いのも相まってあまり外の様子は見れないのですが。それでも、一番前に座っていた子がガチガチに固まって目を瞑っていたのを見ると、ちゃんと獅子舞やれてたのかなという気持ちになる。

もちろん、こどもを怖がらせることが目的ではないし、怖がらせたいとも思っていない。けれど、本気でやれば独特の緊張感はでるだろうし、中身が人だとわかっていても、人ではない動き(中にふたり入っているので)をする仮面を見れば、怖くもなるよなとも思う。自分も小さい頃は、怖いものは目を瞑ってやり過ごすタイプだった。
なんて、少し話がずれたけれど、こどもたちには無事、伝統芸を披露できたように思う。あっという間に一時間が過ぎ、こどもも先生も満足してもらえたようだった。ああ、田舎のお兄さんを全うできた。

そんなこんなで午前中は過ぎ、午後からは収穫の続き。
ハゼ干ししてある稲を脱穀する作業だ。

この作業も、今や集落内では他の誰もやっていない。田んぼをしている人も減り、かろうじて続けている人たちも、収穫はコンバインで一気に終わらせている。
移住者たちが続ける、田舎の営み。いわゆる資本主義の合理性や生産性とは、少し離れた位置にある。

けれどもともと、田舎の暮らしは合理的で生産的なものだったはずだ。それがだんだん、機械の大型化とともに山間の村での農は割りに合わなくなっていった。農が揺らげば暮らしも揺らぐ。そうして集落から人は減っていったのだ。

でも、そんな現代の集落でも、自分も含め、全力で田舎の一日を過ごす人々がいる。
そのこと自体の価値を、ずっと言語化しようとしているのだけれど、これがなかなか難しい。体験すればきっとわかる、原初の価値。

頑張った一日の終わりの夕焼けが美しいと感じるとか、そういう価値観。

そんなことを考えながら、獅子舞とも収穫とも向き合っていく。
今日も田舎の一日を過ごしたのだ。

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