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自己分析編:06 主義、というよりは自分が信じているもの

以前の記事で「いろんなことに対してニュートラルでいたい」といったことを書きました。それは、偏りを持った状態で物事を判断せず、可能な限り偏見なく目の前の出来事を理解したい、と思いながら暮らしているということです。
しかしそうは言っても、今までの情報の蓄積、感情の記憶がある以上、なかなか難しいもので。でも、そうありたいと思っている。そのことを意識したとき、ああ、これって自分の中にある“主義”なんだなと感じた。

(以前の記事はこちら)

自分の内側を、目に見える言葉にすることで理解が深まることは多い。それが最近のnote更新の楽しみでもあるのです。

少し話を戻して、“主義”だと感じた瞬間、同時に“主義”と表現するには少し違和感があるな、とも思った。試しに言葉を調べてみる。

1 持ちつづけている考え・方針・態度など。

2 思想・学説・芸術理論などにおける一定の立場。イズム。

3 特定の原理に基づく社会体制・制度など。

goo辞書「主義」より引用

この辞書に基づくと、1の「持ちつづけている考え・方針・態度など」が、このときわたしが感じていた“主義”に一番近い。けれど、この辞書の中だけでも他にも2、3の意味合いがあるわけです。おそらくそれが、違和感の正体。伝えたかったこと以外の意味も同時にひっついてしまったということ。

だから冒頭の「いろんなことに対してニュートラルでいたい」というのは、主義、というよりは持ちつづけている考え・方針・態度など。もっというと、自分が信じているもの、なわけです。ここまで言い換えると、ようやくしっくりくる。


ようやく本題に戻ると、この「いろんなことに対してニュートラルでいたい」という、自分が信じている考え方。振り返ると、結構昔からその考えの種を持っていたなと思うのです。それはおそらく小学生のころから。

前にも書いたことがあるのだけれど、わたしにはもともと臆病なところがある。怒られることが嫌だし、誰かと誰かが争っているのも嫌だった。おそらくそれが、今にも続いている。

では、争いがなくなるにはどうしたらいいのか。
小学生、もしくは中学生なりに考えた結果が、相手を理解することだった。そして、なるべく相手と近い状態で理解するためには、相手の立場で考えることが大切。自分の立ち位置で考えていては見えないことも多い。だからこそ、ニュートラルでいたいのだ。

ただし、自分の意見がない、というわけではない。
どちらかというと意見を持っている方だと思うし、意見を求められる場面では正確に伝える努力をする。
その意見を、出来る限り押し付けることはしたくない、という意味で使っているのがニュートラルでいたいという言葉だ。

相手を理解したいからこそ、自分の考えや意見を一度置いておき、理解することに意識を注ぐ。相手がどんな想いで、どんな言葉を遣っているのか。そしてまた、その言葉というものをより理解したいから文章を書いている。

自分が信じ、大切にしている考えと、いま取り組んでいることがつながった瞬間。納得。

書き出すことで、考えが目に見えてつながりやすくなる。そんなシンプルなことも、やはりやってみてこそ理解できるものでした。

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