心の豊かさと物の豊かさを比べる罠
「豊か」という言葉に魅力を感じるのは、わたしだけではないはずで。
経済的にも、精神的にも、豊かになれるものならなりたいものだ。
という前提で、今日(昨日になってしまっていた)目に入った記事が気になった。
要は、2007年と2023年の世論調査結果を比較した場合、昔はどの年代でも心の豊かさを優先していたが、2023年では30代〜50代は物の豊かさを優先する傾向にある、ということ。そしてそこから、お金の欠乏感に関する考察へと。
まず最初に、この記事のこと、筆者のことを否定したいわけではないことをお断りしておきます。ただ、タイトルが気になった時から、読み終わった後まで、「本当にそうなの?」という思いは消えなかった。それは、自分の周りにはそうではない世界があるからだ。(そもそも世論調査は3,000人〜10,000人対象の調査なので、そこから自分や自分の周りの感覚がズレていると、結果にモヤモヤが生じることは今までもあった)
自分自身、豊かさとは何かを考え、移住したという経緯もあり、周りにもやはり「豊かさ」について何かしらの問いを持っている人が多い。そして物質的、経済的な豊かさは人それぞれだが、心が豊かな人ばかりだ。だからどうしても、先ほどの記事が腑に落ちない(そういう時代だよねという納得感はありながら)。もちろん、暮らしは人ぞれぞれで、わたしの知らない世界もまだ多い。自分の周りの環境が恵まれているとも言えるだろう。
けれどふと、この“心の豊かさ”と“物の豊かさ”は、並列で比べていいものなのか?と疑問に思う。とはいえ、日常では当たり前のように、これらは並べられていることが多い。だから見落としがちなのであって。
いや、正確には比べていいかどうか、という話ではなく。この2つを比べてしまう、並べてしまう時点で本当の“心の豊かさ”には辿り着けないのではないか、という話。先ほどの記事からの学びをものすごくざっくりいうと「金銭面で日々の生活を削られる続けると、心の豊かさ云々言ってられなくなる」ということ。このことからもわかるように、物質的、経済的豊かさの尺度は、心の豊かさを感じるセンサーを鈍らせてしまう。言い換えると、金銭的な問題でメンタルを削られているから、心の豊かさを気にしていられない、ということ。これについては非常によくわかる。けれど、だからこそ、心かカネか、という2つだけを見ていてはダメなのではないかとも思う。
生きていく上でもうひとつ大切な要素、時間。命そのものと言ってもいい、と思っている。この、心の豊かさ物の豊かさ論争に“時間”の観点を忘れずにいることが重要だと思うのだ。
カネに困ってるからカネがいるんだ!ではなくて、なんで困っているのか、そのお金は本当に必要なのか、他にも選択肢はないのか、考えてみる時間を取れば、違った考えも生まれるはず。自分の命を何に遣うのかを考え、実践していけば、自ずと心も豊かになっていくはず。
その余裕を持つことが大切なのでは。今の時代、知らぬまに余裕を奪っていっているモノゴトって多いですから。
今日のところの結論は、心の豊かさと物の豊かさ、どちらを求めるかを考えるのではなくて、その間に時間をおいて、それぞれ考えてみるのがいいのでは、ということで。そうするとそもそも「心の豊かさと物の豊かさ、どちらを求めるか」という問い自体、ナンセンスだと気づいたりもする。
与えられた尺度や問いの中だけで考えるよりも、自分で考えた思想に沿って判断できる人でありたい。
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