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自分のために書き続けてみて、次に書きたい相手が見つかった。

毎日投稿を掲げて1ヶ月。
「誰かのための文章」というものはなく、自分が書きたいことを日々書いていた。

自分のために書き続けてみて、それはそれで学びや気づきもたくさんあった。
今はまだ書くことが自分への誓約のような感覚に近いが、習慣にもなりつつある。
書くことは、わたしの暮らしにとって必要なことなように感じる。

それでもずっと、「誰かのための文章」であった方がいいのではないかという迷いが消えずにいた。

決して自分のために書くことを否定しているわけではなくって、それはそれで大切なことだと思うんです。でも、それだけでは世界が広がらない。
そもそも、書くことで自分の人生をより自分のものに、より楽しいものにしたいという思惑もあったので、そのために世界を広げることはしていきたい。

でも、自分以外の誰に書いたらいいのやら。
よく「たった1人のために文章を書いたらいい」といった言葉を見るのですが、その「たった1人」が見つからない。
身近な人なら会話で伝えたほうがより、すり合わせをしながら伝えたいことを届けられる。身近な人でないとなると、どうにも空想の域を出ない。マーケティングは得意ではないし、そういうことをしたいわけではないのだ、いまは。

そんなことをグルグル考えていたけれど、1ヶ月書き続けてみて見つかった。
自分が文章を書きたい相手。

それは2016年の頃の自分だった。

結局自分かいという反論は、認めます。
でも、昔の自分と今の自分は、きっとつながっているはずだけど、今の自分とは違う人間。細胞レベルで全く違う。

そして2016年の頃の自分は、とても迷っていた。
22歳から23歳になる年。
自分の人生に、これからの生き方に悩んでいた。
このままでいいんだろうかと、働きながら考えていた。
いろんな人に会ってみたり、本やネットで情報を集めてみたりしていた。

そして悩みながら、同じように感じている人って、実はもっとたくさんいるんじゃないかと考えていた。今になって思えばそれは、孤独に悩みたくないという願望だったようにも思えるけれど、あながち間違ってもいないと思う。
実際にいままで、似たような悩みを抱えた人に出会ってきたし、相談に乗ることもあった。

であれば、2016年の頃の悩める自分に向けてかける文章があったなら、それは同様に生き方に悩む人のためになるんじゃないか、そんなささやかな希望のようなものが見つかったのです。

こんな生き方、価値観もあるんだよと、ひとつの参考にしてもらいたい。
かつての自分に向けて書くことで誰かの心が軽くなることがあるとすれば、それはとても幸せなことだ。

書き続けてみて1ヶ月。
次は自分のためだけでなく、かつての自分に向けても書いてみたい。

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