経済的規範とインセンティブ
インセンティブっていうのは、行動の動機となるものです。たとえば、なんで働いてるの?って聞かれた時に、それはお金のためだよって答える人は、お金が働くためのインセンティブになっているということができます。
ただインセンティブというのは、お金だけではないということをわれわれは忘れている気がします。
たとえば今流行りの某論破王ひろゆき氏の主張を聞いてみても、大概はお金というインセンティブが土台としてあり、そのために効率のいい生き方をしようというのが彼の「倫理」であるように聞こえます。
あるいは、ビニール袋有料化にしてみてもそうで、とにかくお金をインセンティブにするとビニール袋も削減できるんじゃね?っていう安直で頭の悪い考え方によって導入された気がします。
でもさ、お金だけがインセンティブじゃなくね?っていう疑問は大事だと思います。
たとえば、僕の真面目な妹になんで教師になりたいの?って聞くと、その答えはお金じゃなくて、やりがいとか教えるのが好きだからみたいに返ってくると思います。
世の中ってお金をインセンティブとして動いているよねっていうのは、かつての合理的な経済人を前提とした古い枠組みです。
たとえばこんな例があります。
イスラエルにあるとある保育園は、保護者が時間になっても子供を迎えに来ないことに悩まされていました。そうなると保育士は、余分な時間働かなきゃいけないし、コストもかかりました。そこで保育園は迎えに遅れた保護者に罰金を課すことにしました。
こうなるとみなさんはみんな迎えにくるようになったのかなと思うかもしれませんが、逆です。なんと迎えに遅れる保護者は増えたのです。
つまり、保護者はこう考えたわけです。お金さえ払えば遅れてもいいんだって。
罰金が導入される前は、遅れたら申し訳ないなっていう罪悪感を持った保護者もいたのに、導入されてからはお金を払うことで追加のサービスを受けられるやんって考えたわけです。
これを一般化すると、道徳的規範から経済的規範に置き換えられたということができます。
わかりやすくいうと、お金以外のインセンティブで動いていた(時間通りに迎えに行っていた)のに、お金がインセンティブになった結果、遅刻が増えたのです。
他にも面白い例があります。
献血というのは、一般的にボランティアとしてやるものです。つまり、お金とかの対価をもらうためではなくて、他の人を助けたい義務感によってやるものです。ところが、献血してくれた人にお金を支払うようにしたところ、献血に参加してくれる人が減ったそうです。
これも先ほどの保育園の例と同じです。インセンティブをお金にしたところ、かつてのインセンティブ(義務感や利他的な動機)が喪失したのです。
これは他のことに応用がきくかもしれません。たとえば、世界中では臓器移植のための臓器が足りなくて、ドナー待ちの状態が続いています。そこで、じゃあ臓器を売れるようにしたら増えるんしゃね?って考えられるかもしれません。しかし、むしろ減るかもしれません。つまり、これまでは臓器というのは無料で提供していたからこそ、そこにはお金以外のインセンティブがあったのに、お金をインセンティブにした途端、これまで提供してくれていた人々が一気にいなくなるという現象が起きるかもしれません。
これはつまり、お金こそが唯一のインセンティブだって考えてしまうと、失敗するかもしれないことの例証です。
なんかビニール袋を有料化してから、むしろビニール袋の消費量が増えたみたいは話を聞きますが、そういうことなのかもしれません。
いずれにせよ、こういう新しい理論とかをどんどん政治に取り入れていかないと、いわゆる日本オワコンになるよっていう話でした。
今回はこの記事を参考にしました。