【ピアノ〜リハビリ挫折の日々】
今年の3月の終わりから、そしてこの夏の2度の入院を終えてから、ピアノが思うように弾けなくなった。
1年前の今頃、必死に練習して、グランドピアノの練習室を借り、スマホで録画していたあの頃…たった1年前に弾いていた曲ですらマトモに弾けない。
原因は分かっている。
ピアノを全く触れなくなってしまった時期が数ヶ月にも及んだ。
見るのも触れるのも聴くのも嫌になったあの時期。
(過去記事:ストレスとデトックス参照)
何とか忘れようとして、違う曲を弾いてみたりもした。
一度弾き合い会に参加し、あとは生徒ちゃんのレッスン、それだけ。
小さい子どもに教えるピアノっていうのは、自分が弾く曲のそれとは違う。
精神病院から退院し、2度目の入院から退院して、少しずつ凍っていた手と曲を解凍していくようになった。
それだけでも本当なら大いなる進歩だ。
別に音大の頃の“現役の頃″に弾いていた、難しい曲を弾こうとしているわけではない。
今はショパンのノクターン2番が、かろうじて暗譜で弾けるくらい。
大好きなショパンエチュードの“エオリアンハープ″も、ラフマニノフの鐘も、ベートーヴェンのソナタも全部ぜんぶ1からやり直し。
そう、指が全く思うように動かないのだ。
数ヶ月弾けなかったのだから仕方がない。
“触れるようになっただけマシ″と考えるべきなのかもしれない。
リハビリも兼ねて、最初は1日30分から、1時間、1時間半、2時間…日によってまちまちだが、今はこれが精一杯なんだ。
ピアノってスポーツや数学と似てるんです。
1日弾かなかったら、元に戻るのに2、3日かかる。
手はバカだからすぐ忘れるんです。
前なら少し練習したら弾けていた曲も、ノロノロ運転、オマケに変な癖までついちゃってる。
よくスポーツ選手や、運動をガチでやっている人が、怪我をして休場し、リハビリをしている。
そのリハビリ期間中に心が折れてしまいそうなほど、挫折感を味わうと聞いた。
野球選手だって、骨折して最初にやる事はキャッチボールからだと相方は言っていた。
真剣にやっていればいるほど、辛い事だろう。元通りまで回復するとは限らない。
ピアノも全く一緒で、弾かない期間が長ければ長いほど、回復するのに時間を要する。
「去年弾いていたショパンエチュードなんて、今の私にはレベルが高すぎる、いくらゆっくり練習しようがリズム反復練習をしようが、無理だ…」
愕然とし、何度も泣いた。
泣いても仕方ないのでハノンの教本を出す。
スケール&アルペジオもロクに弾けない者が、ショパンエチュードなんて弾けるはずがない。
家庭教師をしていて、数学の問題でつまづく生徒が多くいる。
中1の方程式がサッパリ解けない子がいる。
そこで小学校時代にまでさかのぼってみると、小数点や分数でつまづいたままになっている事が多い。
もっと言えば、大きい数のわり算、小数点や分数のかけ算わり算を習得しないまま、学年だけ大きくなり、中学に入った途端、数学が全く解けない現実にぶち当たっている。
当たり前だ。
基礎ができていなければ、かけ算やわり算を使った問題なんて解けるはずがない。
そんな時は、
「分からなかったところまで、さかのぼって一緒にやろうね、みんなやってる事なの、恥ずかしい事ではないから一緒にやろう!」
と話して、小学3、4年生のドリルを丁寧に確実に解いていく。
ピアノも全く同じだ。
生徒ちゃんにはあんなに上手く言えるのに…自分の事となると焦りしかなくなっている。
ハノンのスケール&アルペジオは、メトロノームの速度をめちゃくちゃ落として、1音1音左右バラバラに弾く。
ツェルニーも40番の1から、ゆっくりでも確実に弾けるようになるまで前には進まない、何なら30番でもいい。
バッハは、平均律でもインヴェンションでもシンフォニアでもなく、それらに入る前の導入期に使用していた楽譜を引っ張り出し、メヌエットなどをアホみたいにゆっくり丁寧に練習する。
ざっとココまでが基礎。
算数の小数点や分数のかけ算、割り算と同じ。
「お前こんな腕でよくピアノ講師なんて名乗れるな?!」と自虐ツッコミを入れながら弾くことにした。
曲は、小学生の頃に弾いていたベートーヴェンやモーツァルトの、1番簡単だと言われている曲までグレードを下げた。
それでさえ満足に弾けない。
変な癖がついているのが目立つ。
ピアノというのは、ゆっくり片手練習をすればするほど必ずボロが出てくる。
指の1と4の持ち替えがスムーズに出来ていない、無理矢理弾くと、すぐ汚い音になる。
練習時間の終わりだけ、ご褒美として両手で合わせ、前日からの進捗状況を見るが、同じところでつまづく。
もう気分は最悪だ。
絶対してはならないことをしてしまった。
いくら練習しても動かない指に腹を立て、自分で自分の手を思いっきりバシンッと叩いてしまうのだ。癖になってしまった。
一瞬、痛みで目が覚め、何度も直そうと繰り返し練習するが、合わせるともうダメ。
昨日はあまりに腹が立ち、何十回と自分の手を叩いてしまい、手が赤く腫れ上がった。
もうこうなると、悔しくて歯痒くて、情けなくて涙が止まらない。
ピアノを弾いていて楽しいなんて感情は、どこかに置き忘れてきたようだ。
「何でこんな事もできないんだ!!痛みで覚えろ!お前の手はバカだからってな!!」
最後ノクターン2番を弾いて、思うように弾けず、これまたバシンとやってしまい、練習終了。
気分も最悪、自暴自棄と自己嫌悪のループだ。
私は、これまでどの先生にも、母親にも、ピアノがうまく弾けないからと言って、手を叩かれた事など一度もない。
学生の頃、歯痒くて自分で自分の手をバシンとやる癖がついてしまった…何でだろう。
昨日、クリニックで主治医の杉浦先生に話した。
今まで隠していたこと、手をバシバシ叩いてしまうこと…。
セルシンを打つ間、先生に問うた。
『先生、コレって自傷行為のひとつなんですな?』
『ん〜…自傷行為というより、できない自分に自分で罰を与えてるかんじね…』
自分に罰ね…確かにそうだ。
自分に痛いムチを打っている。
こんな事、恥ずかしくて主治医にも話せない、noteに書くことへも抵抗を感じた。
クリニックから帰ってきてからの練習では、あまり自分を叩かず、責めずに終えることができた。(それでも2、3度は左手をバシンッと叩いてしまった)
先生に話して良かったのかもしれない。
泣きながら叩いた手の甲を見て、相方は焦るな、焦らず毎日少しずつやればいいんだからと言った。
例えば、人が自分の演奏を聴いたら、まぁまぁ弾けてるじゃん!と言われたりもする。
でも自分の中では違うんです。
指さばき、自分の演奏の手ぬるさ、詰めの甘さに腹が立つんです。
自分のピアノにだけ異様に厳しい評価しかできない。(皆さんはどうですか?)
これが“大人の趣味ピアノ″だったらどんなに楽なんだろう…
昔の自分と、いつの間にか比較していた。
“変なプライドなんて捨ててしまえ。″
人の演奏は大らかな気持ちで聴けるんです。
でも自分には大らかになれない。
基礎という小さなコマを、ずっとずっと積み上げてきた。
その積み木を自分で粉々にしたんだ。
自分でぶっ壊して泣いている。
これを自分の職業としなかったら、少しは楽になるのかもしれない。
しばらく、これは大人の趣味ピアノ…と自己暗示をかけて、焦らず、ゆっくり練習するしかない。
失った時間は取り戻せないのだから。