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【閉鎖病棟での日々〜あとがき】

やっと長たらしい文を書きあげた…と言ってもスマホでピコピコしてるだけなんだけれど。



作家気取りで『あとがき』なんて書くのもどうかと思うが…ひとこと。



人生初の精神病院、閉鎖病棟入院は驚くことの連続であったが、今となってはこの入院自体、自分にとって正解だったと思っている。
理由としては3つ。


1、自傷行為がなくなった(今のところ)

2、心の落ち着きを取り戻せた

3、助けとなる仲間ができた


私の症状はおそらく、病棟内でも軽い方に分類されていたように感じる。


入院の仕方で大きく変わるが、症状が重くなればなるほど、問題を起こせば起こすほど、入院期間は長くなる傾向が見られた。



最初、外来の医師の診察を受けたとき、こんな事を言われた。

『こんなトコロに何ヶ月も居ちゃあ、通常の社会生活送れなくなるからね…』


あ…この人こんな事言うんだ…そうなのかもしれないけれど、それを言っちゃあおしまいだ。


私はこの外来の医師の診察を二度と受けたくないと思った。
何となく患者を社会のゴミ扱いしているような言い方が、言葉の端々に見え隠れしたからだ。



精神疾患、精神科、精神病院(心療内科やメンタルクリニックなど)に偏見はつきものだ。
そりゃあそうかもしれない。
この世の中のしきたりの中で言えば、ごく普通の反応だ。


よく、ニュートンもベートーヴェンも太宰治も発達障がいだったんだよ!そんな説もあるよ!なんて事を言う人もいるが、そんな事を聞かされても、私はひとつも嬉しくない。
ただの凡人にとって、それらの言葉は何の励ましにもならない。


偉人と呼ばれる人も、その当時はかなり生きづらかったはずだ。
そして数百万人いると言われている精神疾患を抱えていたり、発達障がいを持つ人のうち、天才と呼ばれているのは0.01%未満だ。
それも、その人物が亡くなってから。

(田中角栄は中卒で総理大臣にまでなったんだよ!というものに似ている。)



精神疾患や発達障がいなど、今の世でまっとうに生きていこうとすれば、それらはとても邪魔くさいものになる。




退院し、知人とLINEをしていると、『精神疾患は、遺伝的要素が強い事故みたいなもの』『治療を受けようが、受けまいが迷惑をかけて生きている』という辛辣な言葉をいただいた。

その知人の友人が精神疾患で、人に迷惑をかけまくった挙げ句、亡くなったかららしい。


ほほう…交通事故とはよく言ったものだ…
迷惑か…、ならその知人は一生、精神科、メンタルクリニック等のお世話になる事はないのだろうか。

自分だけでなく、もし自分にとって大切に思う人ができた時、その相手や家族に精神疾患や発達障がいに該当する者が居たとして、果たして同じ事が言えるのだろうか?


私は感情的になってしまい、それは失礼だと意見を述べた。


その後知人とは、たらたらとしたLINEが続いた。


私は、主語と述語…あなたのLINEの文が読めてなくて大変申し訳ない、昔から国語が大の苦手で、読解力がまるでないのですよ…
彼女に指摘を受けた点を送る。



何となく腑に落ちない自分。
その知人は、国語の教師でも、医師でもない。私にとってはイマイチ説得力が欠けていた。

結果、そこまで詰められる筋合いもないと感じ、こちらからシャットアウトしてしまった。 
(こういう事が、今の世で生きていく上で致命的な欠陥なのかもしれないと重ね重ね考えた)





入院して分かったことのひとつに、自分の心を守ることと回避の違い。

物事が、正しいか間違っているか?ではなく、攻撃性の高い内容を含んだ文をまともに受け取らないのも、自分の心を守る方法のひとつだと学習した。
おお、何たる新しい発見!!


これまでの自分は、全てを正面からまともに受けすぎて勝手に傷ついてきた。
アホは私だった。
(過去記事にあるXでの炎上事件にしても)


そもそもこの度の入院の第一目的は、SNSから一切離れることを意味する、デジタルデトックスであった。


元々X内での関係性が火種となり、揉めに揉め、ある事をきっかけに大炎上、飛び火し、自身がトチ狂った事がきっかけであった。


入院する直前の私に『表舞台から身を引いてください』とLINEをしてきた人物が居た。
(未だに何をどこまでを指して、表舞台と言うのか、意味がわからない)
なら私は一生日陰者でいろと言うのか。


それに従う筋合いもないが、これから先、自分が何か大それた偉業を成し遂げた場合でない限り、X(旧Twitter)は二度とやらないと決めた。
相方のスマホから、たまに覗くことはあっても自らは発信はしない。ロクな事がない。


そして、見るとモヤモヤしてしまうXの属性そのものが、自分には不向きだということがよく分かった。

元々Instagram好きなので、SNSはそちらとnoteだけで充分だ。


SNS問題で苦しむ人が居たら、1回閉鎖病棟にでも入院すればいいんじゃない?と気軽に言える内容ではないが、適当に距離を置き、一旦強制的に離れてみるのも良いかもしれない。

誹謗中傷等で命を落とす危険性もある、自らの自傷行為が止まらなくなった時のことを思い出す。
SNSとの付き合い方を勉強する良い機会になったと考えることにした。



だが日常は良いことばかりではない。

やるせない気持ち、無念な事、理不尽で悔しい事、悲しい気持ち…それらの気持ちの捌け口として、noteを利用し始めた。
いわば私のnoteなんて、チラシの裏レベルなんだ。

ココでくらい、好きな事言わせてくれよ…と思うのが正直な話である。



精神病院の閉鎖病棟に居る住人たちは、自分も含め、この世の中では生きづらい人が多いかもしれない。
ただ驚くほど純粋で、人を疑う事を知らない人が圧倒的に多かったのも事実だ。

もし別次元ならば、彼らの方がフツウの人間と言われるのかもしれない。
結局何がフツウの人間か、平均値かなんて誰にもわからない。
誰かが作った心理テストや法則に当てはまったら“病名″がつくのかもしれない。

精神病院…特に閉鎖病棟は、ヘンな人が多くいるところと思われがちで、それもある意味仕方のない一面もあるが、どうかあなたの周りにそれに該当する人が居たとしたら、その一面だけでその人を判断することのないように願うばかりである。



精神病院の閉鎖病棟編は、第⑩話までにわたる長いものになってしまった。


実は第⑦話くらいから、毎晩高熱にうなされ、正体不明の病で一般の総合病院へ5泊6日ほど入院していた。
当初は、“頸部の蜂窩織炎の疑い″と説明があったが、コロコロと容態が変化し、最終的には原因不明の病で、医師も首をかしげたまま熱も下がり、腫れも引いて今日退院してきたばかりだ。

ひと月に2回入院するなんて、生まれて初めてのことであり、ストレスの恐ろしさを身に持って知ることとなった。ストレスだけではあんな高熱や腫れは出ないので、免疫力が著しく低下していたのかもしれない。
涼しくなったら、お祓いにでも行こうかと相方と話していたところだ。




さて、リアルを描こうと書いていると、ドンドン長くなるのが私の悪い癖である。


まず、今回私のnoteに登場しても良いと賛同してくれ、寝食を共にした病棟内の仲間たちにお礼を述べたい。
皆の存在でどれほど自分は救われたことか、言葉でうまく表現できず申し訳ないばかりだ。





そして私のトチ狂った頭を適切な方向へ導いてくれた主治医Dr.M、入院中私に何があっても常に力を貸し励ましてくれた博識ハルキストくん、フォトグラファーの友人(見出し画像を提供してくれた)、ピアノ界隈の残り少なくなった友人に心から感謝したい。




最後に、ここまで長々とお付き合いいただいた皆さまにも、厚く御礼申し上げます。




“ココは違うぜ〜!ウチの病棟ではこんなだったよ!″なんて思われる方は、遠慮なくコメント欄に書いていただけたら幸いです。


今後もぼちぼちnoteの続きを書いていきます。


(※今日こそ安眠できますように…)





               elena


          令和6年 8月27日



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