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「学校は行かなくていい」について

Yahooにまた、ゆたぼん君の記事が出ていました。

ゆたぼん君に限らず、最近は「学校には行かなくていい」という意見を目にする機会が少なからずあります。

私の娘は2年前に一年間学校に行けませんでしたが、娘の不登校の時も今もこの「学校には行かなくていい」の言葉には「もやもやしたもの」を感じあまり救われた気持ちにはなりませんでした。当時の気持ちに向き合って理由を考えてみましたので文章にしてみようと思います。

今日の記事はだいたい4~5分で読めます。

今回のゆたぼん君の記事について

記事はこちら。


内容は、新学期が始まってあちこちの自治体で学校を休んでいる子どもが数%増えているという記事を紹介し、最後に彼のいつもの主張、「学校は行かなくていい」を繰り返すだけの、特に目新しい内容ではありませんでした。何故Yahooで取り上げたのかもよく分かりませんでした。

言うまでもなく学校を休んでいる子どもが増えたのは時期的に新型コロナウイルスによる一時的な影響もあると思いますので、「学校に行けていない」と全てごっちゃに語るのは乱暴な気がします。また中学1年生ですから高度な内容を期待するほうがおかしいのでしょうけれど、数年間この話題で発信しているならもう少し突っ込んだ内容も欲しいところです。

私も学校に行くことが苦しいなら「行かなくていい」とは思います。ですがこの言葉を聞くだけでは不登校の当事者の多くは救われないと考えています。不登校のお子さん、親の気持ちはそんな単純なものではないのです。

ゆたぼん君の主張に賛同するところ

ゆたぼん君は2017年、学校でのトラブルから不登校となり、以降YouTubeで不登校を肯定する発言を続けています。今年の春に小学校を卒業し、中学生になっても学校へは行かずYouTube配信を続けています。

これについては賛否(コメントを見る限り殆どは「否」ですが)がありますが、子供の自殺を取り上げ、死ぬほど苦しんでまで学校に行く必要はないという主旨の彼の発言はその通りだと思います。

実際、彼の言う通りお子さんの自殺は増えています。もちろん学校以外が自殺の原因になることもありますがネット上で「学校 行きたくない」というワードの検索数が増加したあと、子どもの自殺者数が増加するそうです。

今まさに苦しみながら学校に行っている子供たちには「行かなくていい」という言葉が救いになる可能性はあります。

不登校の本当の問題

しかし中1のゆたぼん君にそれを求めるのは酷かもしれませんが、彼の言う「学校に行きたい子は行けばいい。行きたくない子は行かんでいい」だけでは不十分で、「学校に行きたいけれど行けない子ども」も実は結構たくさんいるのです。ゆたぼん君のように、「学校に行かなくなったら超HAPPYで毎日充実しています!」という子はむしろ例外で、学校に行けないことによる不安・孤独とどう向き合い、支え続けるかが、不登校問題の一番の課題になって来ます。

上にも書いたように苦しみながら学校に行っている段階では「行かなくていい」と言われるだけで救われることはあります。しかし、いざ不登校が始まると、それだけではあまり救いにならない理由はここにあるのではないでしょうか。

なぜ不登校の子どもは「本当は学校に行きたい」と思うのか

だいたい、以下の理由によります。

☘️みんなと同じことが出来るようになりたい
☘️友だちと仲良くなりたい
☘️両親や大切な人に迷惑をかけたくない
☘️日々をどう過ごせばいいか分からない
☘️将来が不安

もちろん最初は「行きたい」ではなく、「行かなきゃいけない」に近いかもしれませんが、そういう子も休息をして時間が経つと「行きたい」に変わってくることもあります。いずれにしても、「休んでいること」に居心地悪さを感じるようになるのです。

すごく楽しいわけでもない動画やゲームにハマるのは、この「休んでいること」に向き合う不安、苦しさを紛らわせるためではないでしょうか。こうなると、「行かなくていい」という言葉は無力になります。

そして恐らく親の気持ちもだいたい上にあげた項目に類する悩みになると思います。我が子はずっとこの先一人ぼっちではないだろうか、劣等感を持って生きなければならないのだろうか、仕事や結婚は出来るのか。

確かに高卒認定試験があります。専門学校や大学を卒業出来れば、人生逆転のチャンスはいくらでもあります。しかし一方、新たな環境でもうまくやっていけるかという不安、現実問題として学歴は生涯収入に比例している(もちろん例外はあります)という知られた事実もあり、学校に行っていた子どもたちと同じくらい幸せに過ごせているというエビデンスがありません。だから、不安になるのだと思います。

将来は、学校に行かなくても良い社会になるだろうか

これは恐らく、今の教師たち、今の社会を構成している大人たちの時代は、難しい気がします。たとえば、ゆたぼん君の記事に対してのコメントのほぼ全てが学校教育に肯定的です。

「そもそも学校なんて行きたい人はいない、行かないのは根性が足りない」みたいな、単に無理解な意見も残念ですが少なからずあります。

しかし、それ以外に、学校の授業はともかく、学校での同級生と交わり、コミュニティの中で相手に気持ちを伝え、逆に相手の気持ちを考えうまくやっていく、という能力は大切と考える人はたくさんいるのです。この能力がオンラインでも同様に培われていくかは現段階では未知数です。

不登校、オンライン登校が不利益を被らない社会になり、それが当たり前になる日が来たとしても、それはしばらく先のことだろうと思います。

まとめ

今日はゆたぼん君の記事を例に挙げましたが、「学校に行かなくていい」と発言する人は増えて来たと思います。しかし、「学校に行かなくていい」というその「いい」はどういう意味なのか。発言者個人の「許可」であればあまり意味がないですし、「大丈夫」という意味なら根拠がなく無責任です。

不登校に至るまではお子さんは学校に通わなければいけない苦しみを経験しますが、不登校が始まると次に「このままで将来大丈夫だろうか」「行きたいけれど行けない」等の種類の異なる苦痛に変わることが多くなり、この苦しさを理解・共感してくれたと思えることが救いになります。もちろん、親身になってくれる相手からの「行かなくていい」であれば支えになるかもしれません。

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