洗濯物と納骨
洋服
昨日、出勤時にふと気がついた。こんな格好の私を彼は見たことが無いんだよな。
出勤する必要も無かったあの頃は、暑ければタンクトップと短パン。汚れが目立たない、猫や犬の毛が絡まないとか、二人とも似たり寄ったりで無頓着だった。
仕事に行ける服を少しずつ買い足してきた。少しばかりお硬い職場なのでモノトーンで落ち着いた色使いの服ばかりだ。定番の黒い服を避けてしまう。何か喪服のような気持ちになる。
元気な色のキャミを着て、無難な色のトップスを着て家を出る。私のこんな格好を見たら何と言うのだろう。君の知らない自分になっていくのがちょっと嫌だ。自分の服を〈あの日〉で分けて古い/新しいと考えてしまうのも嫌だ。
納骨
今週末、彼が納骨されるようだ。どうなるのだろう...。
何も知らないけれど、何も知りたくない。
私は、あの日の続きがいつか始まる日を待っているだけなんだ。
やることをして、できることをして日々が過ぎた先にあるはずの、いつもと変わらない日常だった日が、しれっと始まるのを待っている。あの世なのか来世なのか、そんなのわからないけれど。
納骨されても私と彼との距離は何も変わらないし、何も失くならない。
ただ、彼を信じて信頼する気持ちはそのまま残っている。この気持はずっと残るのだろうか。一番信頼している人への気持ちが一方通行なのがもんもんとする。
三回忌
誰かにとっては区切りになる日なのだろうか。
それを知ってか知らずかスマホにショートメッセージが届いた。
「…良かったら近況教えて下さい」と結ばれていた。
彼が信頼し尊敬し慕っていたとある社長。
彼が亡くなってから社長の発言や要求に私は苦しんだ。
今回私に声を掛けてくださる人は他にいないだろう。社長にしてみれば、あの時私を傷つけた言葉も、今回のお声がけも真摯な優しさなのだろう。
私は人の顔を覚えるのが苦手だ。彼の顔さえも脳裏に再生できない。
しかし〈相当苦しんだんだろうね。あまりいい死に顔じゃなかったよ〉
という一言で、私は苦しむ彼のあまりに酷い顔色を脳裏に刻み込んでしまった。
社長の名前を見るだけであの姿を再生してしまう。身近だと思ってくださったからこその〈余計な一言〉だったのだろう。しかし、身近だからこそいつまでも付いて回る呪いの言葉のように私を苦しめる。
業務連絡
困難には二人で知恵を絞って乗り越えてきたから、別に辛い思い出でもなく、笑い話に近い。故に、これと言って君に守ってもらったという気持ちもあまりない。
でも気がついたんだ。間違いなく君は私の笑顔を守ってくれていた。
君と出会う前も今も、私の本音の上にはベールが被さっている。本音の笑顔を守ってくれてありがとう。
君が私の本音を守ってくれたから、本音で人と付き合う事を教えてくれたからこの歳になって勤めに出て続けられているんだと思う。君が亡くなってから私が本音での生き方に気が付いたのは皮肉なものなのだが、感謝している。ありがとね。
君の三回忌にはこんなに落ち着いていないかも知れないから、これは三回忌用の特別なご挨拶。明日からまた早起きだからよろしくね!