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将来
前の記事を書いている途中気がついたことがある。
今の私の最長の将来像は定年までココで働こうと思っていることだ。今年、誕生日が来れば59歳になるので65歳の定年までは稼ぎたい。ところが、その先は真っ白である。この何も考えられない真っ白な感覚は経験があった。
進路調査
中学、高校での進路希望調査。将来の夢もやりたいことも真っ白だった。仲の良かったおじいちゃん獣医先生に「俺の跡継ぎになれ。俺の母校に行け」と言われたけれど、母の「家から通える短大」という制約があり、該当する短大は2校。女子校か経済学のみの短大かの選択肢だった。
真っ白
今も昔も将来を考えると真っ白だった。消して真っ黒では無い。私の絶望の色は真っ白なのだろうか。それとも最愛の人と胸を張って言える彼を亡くしてもなお、私は絶望すらしていないのだろうか。それともパニックになっている真っ白なのだろうか。冷静だと思いながらパニクっているというのは何だか怖い。
1週間
上の1行を書いてから〈なんで真っ白なのか〉を1週間考えていたけれど、その理由も真っ白で思考にならなかった。これが私の思考の癖なのだろうと借りの結論を出して横に置いておく。考えても空想のネガティブに溺れそうな時の緊急退避かも知れない。
むかし彼が言っていた。休日にうつ伏せになって本を読んでいた時にまだ幼かった娘さんが腰に飛び乗って来たそうだ。見事にぎっくり腰になった彼は痛みと眼の前が真っ白になって何も見えなくなった事で救急車のお世話になったそうだ。迷走神経反射だろうか?その時の医師は急激な痛みから守るために視神経を一時的に遮断しただけですよ~。のような説明だったそうだ。私の脳は心を守っているのだろうか。
高校生頃
母に「親の言うことを聞けないのなら出ていけ」と言われて、一度だけ泣いて抗議したことがあった。「お金も稼げないし、料理もできないし出て行けないからココにいるんじゃんか」
私がココにいる理由の全てだった。将来とは何もなりたい/何をやりたいかを問い考えるものではなく、ココから出ていく門出だった。それはたぶん母にとっても同じようなものであり〈手が離れてやれやれ〉というのが娘の門出だったのであろう。一人暮らしの4年間で親に連絡をしたのは入院する時に病院に送ってくれと頼んだ時だけだった。母から連絡は一度もなく、もちろん入院中も音沙汰なしだった。
現在
当時の見えない恐怖が〈身寄りのない一人暮らしの恐怖〉だったとすれば現在の恐怖は〈高齢の母のXデー〉だろう。
あーしろ、こーしろと書いた一覧表を持った弁護士に呼び出されるのだろう。そこには悲劇のヒロインがいるのだろう。望んだ未来は手から溢れて行っても、望みもしないXデーだけは確実にやってくる。そこを通過するまでは真っ白い闇からは出られないのだろうか。