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ダークサイド

 グーグルフォトの検索欄に「暗闇」と入れてみた。私のフォルダから選ばれた写真は満月だった。なるほど、たしかに画面の大半は暗闇である。

闇落ち

 死別から丸3年が経過して、私の心が感じ始めた感情は他人を否定する感情が最初だった...。はぁ~、ため息である。人の世はリアルだ。
喜怒哀楽、それなりには感じるのだが心が動かされるとか情熱、パッション
そんな生き生きとした感情とは無縁である。
 ここ半年とか1年で、心が動いた気がしたのは動画で〈星の王子さま〉の朗読を聞いた時くらいかもしれない。十数年前に読んだときには・・・良くわからん!というのが正直な感想だった。

悪口

 私が人を嫌いになる感情に向き合ってみた。

 まず初めに〈私の理想像〉という架空の人物像がある。わざわざ【架空】と付け加えたのには訳がある。人格者すぎてこの世に存在できるのか疑問だからである。その理想像をモノサシにして飛び出した人を嫌いになるのかも知れない。もっとエゴまみれに分析すると、私の理想像の中の〈私が自分で出来ている〉と思っている部分が出来ていな人を嫌いになる。

そして、その聖人君主のような理想像は〈母に怒られない私の姿〉であり、〈母が求める子の理想像〉なのだと思った。

完璧主義

 私は自分では完璧主義だとは思っていない。しかし理想像が完璧なのだから、無自覚の完璧主義者なのかも知れない。

 職場なのだからいろんな人がいる。好きな人も嫌な人もいる。嫌な事があればイライラするのも人であり、人を疎ましく思うのも人である。そんな感情を持つ事さえ否定している完璧主義者なのかも知れない。
「そんなんじゃ誰とも上手くやっていけない」というのは母に言われた呪いの言葉だ。しかしその後で〈こんなんじゃダメだ〉と自分を戒めているのは、自分で自分にかけた呪いかも知れない。

奴隷解放戦線

 自分で作り上げた聖人君主に呪われている自分を探さなければならない。
たぶんインナーチャイルドの本質に近いモノの考え方かも知れない。
 敵は聖人君主だ。それに比べてあまりにデコボコな私をそのまま彼は受け入れてくれた。その安住の地を喪って私の世界は壊れたと思った。

 残念ながら、私や彼の力如きでこの世は壊れない。話はどこから逆になったのか。彼がデコボコな私を受け入れてくれたから素晴らしいのではなく、彼にデコボコな私をそのまま見せることができたから、まるっと受け入れてくれたのかも知れない。聖人君主と化した私と彼が幸せに暮らせたとは思えない。だらしなさもズボラさも共有できた。私が聖人君主なら彼は息が詰まっただろうし、彼が聖人君主なら私がそうだっただろう。

占い

 話はコロッと変わって、Youtubeで〈今月の○○座〉とかのカードリーディングを見ていると「今までご苦労されていたのかな。でもこれからは大丈夫!」という流れが多い。

 要するに
「8月は苦労した。9月は大丈夫」→「9月は苦労した。10月は大丈夫」
というループだ。【9月は大丈夫なんじゃなかったんですか?】というツッコミを入れる無粋は置いておいて、マイナスの意味を持つカードをプラスに捉えて表現する方法が鋭い。それこそ【暗闇の写真を見て、綺麗な満月ですね】と言っているようなものだ。

 満月の写真を見て、満月を見ているのはそれこそ一点しか見れていなかったのだろう。視野の大半は暗闇だ。私の視野は狭い。自分の理想があると、その視野はもっと狭くなっているのだろう。いいじゃん嫌いな人がいたって。だって嫌なんだもん。人の陰口ばかり言ってくる人に同調して一緒に悪口言っちゃったっていいじゃん。たぶん会社ってそうゆう所なんだよ。知らんけど。



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