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死別を受け入れるとき

 彼の夢を見たくて、布団に入っておやすみを告げた後に深呼吸をする。名乗り、呼びかけ、都合を聞き、話す、そして彼の顔を思い浮かべようとする。
「◯◯です。◇◇さん、今良いですか?あのね....」
彼の笑顔が上手く再現できなくて、大好きなあの笑顔にならなくて何度も調整しているうちに眠りに落ちていく。

何故か昨日の夜、勝手な儀式の最中にふっと思った。「私、これってもう受け容れてるんじゃね!?」

今朝から少し違った

 やはりというか、彼は夢に出てこなくて普段なら寂しい気持ちになったり気分はそれだけで落ちていたのだけれど、今日の心境は「チッ。ダメだったか!」という軽いもので、例えるなら1枚しか買わなかった宝くじがやっぱり外れていた時の心境のようだった。

明日から再就職

 新しく勤めに出るという事も、一日中彼を思って満たされたくてひたすらGoogleフォトの彼を見つめ、ダウンロードして画像処理を繰り返していた毎日から切り離されて、彼を想う時間がなくなる事が怖かった。
 今朝の心境は「独身最後の日みたいだ!新しいサンダルを買いに行こう」と哀しみとはかけ離れていた。

ただの浮ついた気持ちなのか、自分の心へ注意を向けてみつめる。考える。この気持ちに似た何かを突き止めたくて。

ここにいる

 遠距離恋愛をしていた時に、長距離バスに乗り電車に乗り換え彼の実家の近くの駅で降り、実家から工場に戻る彼が私をピックアップしてくれた。

・何日も会えない期間を過ごした後の彼の車を見つけた時の気持ち。
・迎えに来てくれた彼の笑顔を見た瞬間の気持ち。
・出張で留守だった彼が深夜に帰ってきたのを告げるエンジン音を耳にして「おかえりー」と迎えに出て行くときの気持ち。

そんな瞬間に感じていた胸が詰まるのとも少し違う、一緒の時間がスタートする時の胸に温かい何かが広がった感じだった。

死別を受け容れるというのは、さよならでもなく、諦めでもなく、一緒に暮らして居た時に、心と心が通じているのが当たり前だったように、肉体という制約がなくなった彼の魂が、肉体という制約の中の私の魂のなかにスーッと入ってきてひとつになった。表現すると危ない人物っぽい怪しげな気配の言葉になるけれど、魂が統合したような感覚。一緒にいるよりも、もっとひとつという感覚を言葉にできない。

これから誰かを好きになる

 人間は一人で生きるのには心が弱すぎる。医学の発展により伸びた平均寿命は孤独に生きるのには長すぎる。死別してから、心の中は彼で一杯で、彼に伝えられなかった「愛している」で溢れていた。
そんな彼への片思いで氾濫している心でも、また誰かを愛することなんかできるのだろうか?と考えてしまい、彼以上の人などいるわけがないと自問自答を繰り返し、他の男性との事を想像する自分を軽蔑したりもした。

もし餃子を作るのが得意な男性がいて
男「餃子作るの得意ですよ」
私「彼も得意料理でしたよ」
男「そうなんだ」

という会話ができる人としかお付き合いができない。あるいは、そうゆう方とならお付き合いできる。という事だと思える。
独身の男性や死別を経験されていない方、その他諸々の方面から非難轟々だと思う。「前の男と比べられるなんて」というのは当然だろう。

 しかし今日という日まで、いろんな出会いがあり別れもありで私が出来上がっているのだから、そしてこれからも歩いていくのだから。

これから

 今日までの5ヶ月間、156日間、いろんな事を考え続けて、いろんな言葉で自分を分析して、答えを求めて揺れに揺れ、出した答が正しいのかもわからず自分を欺いた事があったかも知れない。その部分をこのマガジンに綴ってみたい。

おまけ

 トップの写真について。私は甘えるのが下手なんだと思う。迷惑かけたくなくて我慢する。でも甘えたい気持ちもいっぱいあって、出掛けた彼にお土産を頼むことがあった。それがビアード・パパのシュークリーム。
 この前出掛けた時には、甘い匂いを嗅いだだけで泣きそうになり、もうダメだな。この先食べることはないかもしれない。と諦めて帰ってきた。
 彼が私の中にいるのなら買えるのかも知れないと立ち寄ってみた。先客がありレジで順番待ちをするのも苦手だったが、並んでいる間もメニューを眺めたり、カスタードの匂いを楽しみながら買い物ができた。

 ついでに立ち寄ったTULLY'S。彼が好んでいたのは同じTULLY'Sでも缶コーヒー。トムとジェリーのカップが欲しくて、カフェラテとティーオーレを買った。普通なら、どちらかを彼の分としてお供えして一緒に飲むのだろう。
彼は牛乳が大嫌いだ。乳製品の香りが苦手だから。両方とも自分用である。
初めてTULLY'Sに入って注文して、1360円の会計にビビる。
彼は大笑いしているのだろう。私には少し甘すぎる。でも自分に少し甘く生きてみようと思う今の私を癒やしてくれる。必要経費は人生にもある。

自分への追伸

 これから先も彼を思って落ちるだろうし、心に彼を感じられない日もやってくるだろう。彼と出会ったのは42歳の時だった。それから14年間共に歩んだ。だからもう一度42年歩んでみよう。計算しただけで98歳になる。そしたらまた14年間一緒に歩む日が来るのかも知れない。
 ただただ待たせておけ。待ってくれると信じられる絆を彼は私に遺しているのだから。



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