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評価

できる女

 若い頃はできる女に憧れていた。まぁ、できる自信が無いから憧れるのであって「この娘を採用すれば仕事できるようになるんじゃね?」という、目の前の私のスペック予測で採用されているので、その上を目指す背伸びである。

 その自縛的な背伸びは死別によって取り払われた。なんというか、突然消え去ることがある命の前で見えない敵にまで払うやる気が出ないだけかも知れない。初めの数ヶ月は明日の予定さえ入れるのが怖かった。2年10ヶ月が過ぎた今は数ヶ月先の予定を入れることはできても、半年後、1年後の予定を入れることには躊躇がある。楽しい老後を夢見て頑張っていた反作用なのか、明るい楽しい未来にフォーカスすることができずにいる。
 その反面〈今日〉にフォーカスしている気がする。今日の仕事をミスがないように集中する。できる女どころか、与えられた担務をこなすチープな機械のように処理をして、手が空けば掃除や片付けをして、お喋りをして笑って帰ってくる。The パートさんである。

事故報告

 毎日のミーティングの配布文書の下には最新5件の事故報告が記載されている。日々更新されるリストの常連は私の部署である。ロイヤルストレートフラッシュを狙っているのを阻止されているかのように、合間に他部署が載ってくる。
 自己弁護するとすれば、他部署と違い外部や他部署とのやり取りが多く苦情処理も含めて自分のペースで仕事をするのが難しい、その部署で内部処理だけを任されている私はミスをする機会が少ない。
それだけの理由なのに、私だけミスをしないと評価されてしまった。まさか同じ日に2人から「○○さんだけが頼りだから...」と言われるなんて。

評価

 自分が評価されている事も驚きだったが、それ以上に評価された事に戸惑う自分にも驚いた。

 基本的に私は褒められたくて生きてきたのだと思う。彼と暮らしていても彼の笑顔を見たくて、褒められたくて、経理を覚え、商品のアイデアを考え続け、掃除して、家庭菜園をして、気づいて貰えないことは「褒めて!」と自己申告して褒めてもらっていたくらいなのに。

どうして喜べないのか

 私はチームプレイをしたかったのかも知れない。人は誰でもミスをする。
できる人になろうと一人で頑張る気になれないのは、失敗が怖いからかも知れない。ミスがあったらフォローすればいいのだし、始末書に至るようなミスは起きていない。


ここまで書いて、頭の中で何か分かったような気がしたので途中で放置。
思考の続きは次の記事へ。


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