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そんな親いるの?
兄弟喧嘩
ほぼ毎日泣いていたと思うので、毎日兄弟喧嘩していたのだろう。原因が思い出せない。貸して/貸さない、やった/やらない程度の話だと思う。
兄の「親が居ない時は俺が親代わりだから言うことをきかないお前を殴っていいんだ」と言っては叩かれ私が泣く。
「五月蝿いから(私を)泣かすな」と母が来て、兄が私が悪いと言うので私が怒られる。
「ごめんなさい」
「それで謝ったつもりか」
「ごめんなさい」
叩かれながらループが続き「何で怒られているのかわかっているのか」と問われ答えられずにまたループが続く。
たぶん喧嘩の原因を兄にしか聞かないのだから私は端から何が悪くて怒られているのかわかっていなかったと思う。泣いていて五月蝿いと叩かれ、謝り方が悪いと叩かれ泣く。そこしか覚えていない。
驚き
彼と暮らている中で私が不満を打ち明けたことがある。努めて理論的に心境を説明すると「ごめん」と彼は謝った。
私は驚いた。呪いの言葉「それで謝ったつもりか」が頭の中でこだまする。〈もしかして私が何かしてもごめんで許してくれるってこと?〉混乱と好奇心が入り乱れたような心境だった。
先日、彼の母と話をしていて『正座して手をついて謝っても「それで謝ったつもりか」と叱られていたので「ごめん」って言われて驚いた』と何気に話したら大いに驚かれて「え~、そんな事させたこと一度もないわよ」と言われた。
彼の反抗期の話を聞いていたので、アレやコレやは「ごめん」で許される事だったのだ!と驚いた。
そんな親いるの?
こんな驚きはたぶん3回目だ。
1度目は、ガンダムでアムロが「オヤジにもぶたれたことないのに!」を聞いた時。自分が叩かれまくっている中学生時代だったので、何度も何年も思い出しては「本当にそんな家があるのだろうか?」と思っていた。
2度目は息子の小学校のPTAの懇親会で下級生のお父さんが「娘を叩いたことなんて無いですよ」と言われ〈リアルにいるんだ〉と驚いて以来だ。
難しい
インナーチャイルドの本を以前に少し読んだが、過去の自分をそのまま受け入れるのが意外に難しい。
小学生若しくは中学生を何時間も正座させて叩いて怒るって一体私は何をしたのだろうか?という点が気になってしまうのだ。お前は反省できない。自己批判できないと言われ続けてきたせいなのか、反省するポイントを見つけさせねばと考えてしまうし、どうしたら反省したことになるのか形を求めてしまう。
では今の自分が当時の私を育てたら、心を病むことなく育てられたかと言えば全く自信が無い。そもそも自己肯定感が低い以前に無いのだから。
私がいるからもう大丈夫だよ。とか自分に根拠が無くて〈大丈夫〉という言葉の選択が出来ない。では何ができるかというと、自分が守ろうと決めた者を必死になって守ることはできる。たぶんだけど、以外に私は頑張れる人なのではないだろうか。頑張るというようなポジティブな言葉は似合わない、私はしぶといのである。