日傘とサンダル
ほぼ会社を休まない私の年休が無駄に2年経過して消えてしまわないように、年始やお盆の会社が開店休業状態になる事を予測できる日に割り振って入れて貰える。自分の年休をシフト表を見てから知るというサプライズからの3連休で買い物をした。無駄にいつまでも悩んでいるのを終わらせるための期限を切ったのだ。
日傘
もう日傘に恋してしまったのである。数ヶ月前には〈日傘を使わない派〉だったのに「日傘を使わないのは食わず嫌いと一緒」などと思っている。
ひと目で恋に落ちるような傘との出会いを求めて探していたのだが、その選択肢の狭さが自分を不幸にしていることに気がついた。どうして私はいつも視野が狭くなるのだろうか??
こだわるポイントを最小限にして〈内側が黒、ワンポイントがあること〉でこの傘に決めた。私は傘の内側が好きだ。顔を上げていたい!うつむいていないと自覚するために、その視線に笑顔になれるものがあると嬉しい。
日傘を選びながら、道行く人の傘を眺めていた。この人たちは私のようにトコトン自分の気に入る傘を追い求めて購入していないだろうな。当たり前のことに気が付き、もし彼が傘を選ぶとしたらどうするか想像してみた。(一番理解している相手なので想像しやすいから...)
一番安いのでいい!というだろう...。ではその価格帯でよりどりみどりだったら〈なんでもいい〉
ぶちゃけ「なんでもいい」という言葉が嫌いだ。考えるのを放棄したような妥協の産物。この世から「なんでもいい」という返答が無くなれば離婚率さえも少し下がりそうな気がする。
なんでもいい
私の人生を3つのパートに分けることができる。
1、初婚
10歳年上のアホであった。恋愛結婚であったが仲人さんがいる。仲人さんが元夫に陰で教えを授けたのであろう。
「仲人さんに必ず美味しいと言えと言われたんだ。美味しいよ」
「今日何食べたい?」→「何でもいい」からの上記の流れは喧嘩売られているようなもんだった。
2、彼との暮らし
「俺、飯作るの嫌じゃないから俺がやるよ」という極上の申し出から始まったパラダイスの日々の現実は「何喰いたい?」と聞かれる立場の始まりだった。
「何でもいい」と口を付きそうになるのを飲み込み、冷蔵庫の中身を思い出しつつかつ、手軽なメニューを考える。私は料理するのが嫌いなのではなくて、何を作るか考えるのが嫌いなのだと思い知らされた。そして、サイドメニューやおやつを私が作り、彼がメインを作るパターンが出来た。
3、息子との暮らし
ただひたすら、私の予算内で私が食べたいものを、私のやる気の範囲内で作る。何でもいい選択が食べたいものから作るものに変わるだけで〈相手〉の存在が無くなる。
何でもいいという選択肢を取り入れるのに未だに抵抗があるのは思い出せないトラウマだろうか。
「何がいい?」という質問は相手の希望を叶えたいという純粋な気持ちだけでは無い場合がある。自分で考える面倒事を丸投げするのにも使える。故に「何でもいい」という返事に怒りがこみ上げる。こんなくだらない事でどれほど怒られたことだろうか。
サンダル
ほぼスニーカーしか履かないので、つま先が開いたデザインでヒールがあると足が少し前に滑り出ることで-5mmの効果があるのだな!と気がついた。23.5だと思っていた私は23cmだったのだ!
思い描いていたものと全然違うものを買った。快適に歩ければなんでもいいや!オープントゥには少し抵抗があった。会社ではスニーカーなので靴下を履いて出勤するのでサンダルから見えてしまう。そのファッション性の無さが嫌なのだが、それも所詮他人からの見た目の話だ。私は快適に歩ける靴で出勤する目的は達成できている。自分に影響しない他人の目など知ったことか!なのであった。
合わせて5500円
たぶんコレがインナーチャイルドの癒やしだったのだろうと思う。アホみたいに思われると思う。個人差なのか?
私が畏れている他人の目=母の目のようなものだと思う。選択肢を与えておきながら結果を自分の意見でこき下ろす。そして自由に選択させた事を正当性を誇示する。
それらはほんの些細な事だった。
成績が悪ければ「私の子なのにこんなに成績が悪い訳がない。やらないからだ。私は教育ママじゃないから勉強しろとは言わない。やれと言われてするのは勉強じゃない」「自分で盛ったご飯をどうして食べられないんだ。食べ終わるまで学校行かないでいい」(しかし一口分だけ盛ると当然怒られる)
何から何まで怒鳴られていたので思い出せないからインナーチャイルドの姿すら追えない。だから、今の自分に不必要な他人の目の中に母親もぶち込んでみた。ヤフオクとメルカリ合わせて5500円の買い物で少しだけ窮屈感が無くなった気がする。