別れの日々
先日の雨のせいか、桜は花びらを落とし今年は満開を迎える前に小さな葉っぱが顔を覗かせ始めている。
私は午前5時40分に家を出る。勤務時間が変更になった3/1は、まだ夕闇だたのが、今ではすっかり夜明けの街である。
夕刻の明暗で日の長さの変化を感じることはあったが、夜明けの時刻で季節の遷ろいを感じるのは人生初めてである。
去年の今頃
去年はすべてが怖かった。春になるのも、桜が咲くのも。
暖かくなり浮かれたような明るい世界に自分が存在しなければならないのが怖かった。
「いい天気だね」「外のほうが温かいよ」「桜が咲き始めたよ」「今ウグイス鳴いたよね」そんな他愛もない一言を受け止めてくれる彼の居ない世界に賑やかな春が来るのが怖かった。
そして、咲き始めた花を見て〈綺麗だね〉と思ってしまった自分の心を持っていく先がない現実は、虚無感を呼び寄せ時間を奪っていった。
再出発
昨年の11月に就職して、多くの人に支えられてきた。どうゆう人選なのか?と驚く程に、助けてくださる方や笑顔を向けてくださる方の大半が退職されたり転勤されてしまう。
私にとっての別れとは〈死別〉になってしまっているので、笑顔で「お元気で」と挨拶を交わす別れに少し戸惑ってしまう。
御縁とはいったい何なのだろう。別れとは御縁が切れることなのだろうか。今週はいったい幾つの別れをしたのだろう。
新しい自分
去年の私の頭の中は「なんで」「どうして」「これからどうしたらいいの?」ばかりが浮かんでは消えてを繰り返していた。一歩を踏み出すどころか、どっちを向けばいいのかもわからずに、思考能力すら無い頭で、どうしようと悩んでいた。
悩んでいたのは今までの私。彼と暮らして、彼を愛して、彼が愛していた私。
再出発と書いたが、個人的には再出発はしていない。彼を喪った私は徐々に自分をも喪い、同時に彼を取り込んだ私として生まれ変わったようだ。
私にとっての喪失とは、新しく生まれ変わる時間だったのかも知れない。
だから再出発どころか、ただ単純に出発である。
明らかに今までの自分とは違う自分に戸惑う。彼の自分をさらけ出すような人懐っこさや、垣根を取り払う絶妙なタメ口など、基本ボッチ系の私には絶対ムリだと思っていた会話を私がする。
ありがとうございます。の「ございます」がどうしても出ないのである。
会話はきちんと敬語でのやりとりなのに、最後は「ありがとう~」になってしまう。言っている自分で自分に冷や汗なのだけれど、以外にも距離感が縮まり、心地よい距離に収まる。
君の居ない世界で生きる。
君と一緒に、君の居ない世界で生きている。お供えはしない。さぁ一緒にご飯を食べよう。