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戻りたい後味

鼓膜に振動する油が跳ねる音。鼻に抜けるバターの香り。緑、赤、色とりどりの旬の野菜。すべてが、無機質な厨房に息を持たせている。
 俺の前には、真っ白な皿とルセット通りに部門シェフが調理した、ヒラメ、人参、マッシュルーム運ばれてくる。絵を描くように皿に盛り付け、最後にバジルソースで綺麗な曲線を描く。美術作品のように立体感のある料理が出来上がった。
「三番、サーブ」
俺の合図で給仕人が料理を運んでいく。次は一番テーブルのフロマージュ。その次は…と料理という作品を完成させる。
「一番。サーブ」
「四番、アミューズ、五番コースメイン」
「ウィ、シェフ!」
 俺は料理長として厨房に血液を巡らせるように、指示を飛ばす
「シェフ、七番にお客様がお見えになりました」
 俺が予約したテーブルに、佐々木が来たようだ。
「わかった、谷崎変わってくれ」
「ウィ、シェフ」
 ソースを担当していた谷崎が俺の場所に変わって入る。俺でなくても、この料理たちは完成する。定休日とは別に俺は毎週木曜日が休みだが、その日は谷崎がお客の前に、こうして料理を出している。
 フロアに出ると、妖艶に輝く東京タワーが窓越しに見え、綺麗に着飾ったお客たちが、マナーや気品に包まれながら料理を口に運んでいる。
 七番テーブルのある店の左側に目を移すと、周りと比べれば、地味でよれた灰色のスーツを着た佐々木がいた。
「三年ぶりだな、佐々木」
「おう、中村。どうだ?一流ホテルの雇われシェフの調子は」
 佐々木は皮肉じみた笑顔で俺の顔を見る。佐々木は中学校の同級生で、親友だった。俺のことはもちろんだが、店の調子など、佐々木が一番知っているはずだ。
 佐々木は業界では名のしれたグルメ雑誌で特集記事を連載しているライターだった。佐々木の記事は多くの食通に読まれ、悪評を書かれた店は次々に姿を消した。俺がこの店に来て三年目、別の出版社から記事が出た翌日に予約の電話を入れてきた。
「お前がくる今日までは、嫌なくらい順調だったよ」
「それは悪かったな。好調な勢いを殺すような真似しちまって」
 佐々木は給仕係からコースのワインメニューを受け取り、重めの赤ワインを頼んだ。
「じゃあ、食わせてくれよ。中村が実家を捨ててまで働きたかったこの店の料理を楽しみにしてるよ」
「ああ、わかった」
 俺は厨房に戻り、調理にかかった。オーナーからの要望を答えるためだけに考え抜いたルセットを思い返しながら。そして、次々と料理は佐々木の元へ運ばれ、残すはデザートだけになった。
「これは俺が持っていく。」
 俺は再びフロアに出て、佐々木の前にイチゴのヨーグルトムースを出した。
「これで最後だな。」
 佐々木はスプーンでムースをすくい、一口食べてその手を止めた。
「相変わらず上手いよ、中村の料理は。コース全部最高だった。どこのフレンチや高級料理店と比べても、お前がすごいのは中学の時から中村の料理を食べている俺が一番分かる。だから…許せないんだ。お前がそんな辛そうな顔でこの場所に立っていることが」
 佐々木は、スプーンを持ったまま、小刻みに震えていた。俺は、その姿をただ見つめることしかできなかった。
「俺は、小さな洋食屋で、笑って出してくれた中村の料理が好きだった。今、どんなに評価されて、何倍も代金が跳ね上がっても中村の今の料理を俺は許せない。まあ、わがままだよな」
 佐々木は、俺の料理を食べた最初の客で、俺が二十七歳まで実家の洋食屋で働いている間の常連だった。
だが、興味本位で参加したコンクールの受賞をきっかけに俺の人生は変わってしまった。いや、俺が自分で壊したのだ。
佐々木は最後まで俺がオファーを受けることに反対した。中村は店に使われるだけだ。佐々木の言葉を無視して、親から譲り受けた店を閉め、俺はオファーを受けた。地位、名誉、金。手に入れられるものばかり見て、失うものなんて一つも考えなかった。
「佐々木。お前が正しかったよ。後悔している。情けないくらい。あのときの作った料理の味、匂い、雰囲気。思い出の後味に浸ってばかりだよ」
 俺は、スプーンのあとがついても綺麗なままのデザートを見つめた。自分で考え、調理したのに味すら思い返せない。
「戻りたいか?」
「ああ。都合のいい話だがな」
 佐々木は俺の作ったデザートにはもう手をつけず、カードで会計を済ませた。
「お前が本気で戻りたいと思うなら、料理の味、評価、この店の全て…」
「俺が殺してやる」
 佐々木の少し低い声だけが耳に響き、初めてこの店で息ができた気がした。
 佐々木は、初めて俺の料理を残して、店を後にした。

以下 あとがきです。

久しぶりに書いたものを外に出しました。
2000字以内の課題でした。
テーマは「殺す」です。
最近家での時間が増えて料理をする時間が増えています。そこで僕は味を何度も殺してしまった。最近、僕は殺人鬼、ジョーカーのように笑いながら殺してました。もちろん後処理(食べる)のも俺のだけです。
そこで、料理を題材に「殺す」テーマで書いてみようと思いました。
その理由で、高級レストランで自分の料理を作れない者と昔の料理を愛した者。
その愛の表現が「殺す」という形で書かせてもらいました。
これが人でも、愛してくれない。愛せない。助けたい。救われたい。
そんな正義で殺してしまうこともあるかもしれないですね。
最近はコツコツ小説について勉強しています。
まだ、ボロボロの文章かもしれませんが、続けなければ到達できない場所があるので頑張ろうと思います。

次はなんかエッセイを書こうかと思います。
文章で笑わせる。これも私の書きたい文章の一つですから。