#エッセイ 最初の一歩
五十鈴川に架かる宇治橋を渡って、僕は伊勢神宮の内宮へと最初の一歩を踏み入れた。そのまま玉砂利の参道に歩を進めていくと、境内はさながら古い森のようになる。威風のある樹々が参道沿いに立ち並ぶ。
やがて行く手に正宮が見えてきた。日本の総氏神である天照大御神を祀っているお宮だ。
今日も正宮には多くの参拝者の姿がある。人が宇宙へと飛び立ち、AIが人の頭脳を凌駕する。そんな時代においても、太古からの神がここにいる。正宮は素直にそう思わせてくれる場所だ。
他の参拝者に続いて、僕も賽銭を投げ入れた。しかし、本来のしきたりに則るのであれば、正宮では賽銭をしてはいけない。伊勢神宮には私幣禁断という制度があり、長らく天皇以外の供物や賽銭等を禁止してきた。
ところが、参拝者のほとんどが賽銭を投げ入れていく。不承不承ながら神宮側はそれに応じる体制を整え、今では賽銭が咎められることもなくなった。伝統を頑なに守るだけではなく、新たな時代に適応したということだ。
僕は背筋を伸ばして二礼し、続いて柏手を二度打った。これはよく知られた参拝の作法であり、他の参拝者も改まった表情でそうしている。幼い子供たちまでもが、ぎこちないながらに大人を真似てそうする。こういった日本人らしい美しさは、未来にも残っていってほしいと思う。
それから両手を合わせて、心中で願い事を唱える。
正宮は世の平和を願う場であり、私的な願い事をしてはいけない。しばしば耳にすることだが、実はこれは誤った民間信仰だ。正式には禁止されておらず、私的な願い事も許されている。
だが、僕はこの誤った民間信仰がわりと好きだ。自分のことは二の次にして、世の平和を願うなんて、たとえ誤りであっても尊く感じる。後世に伝えていきたい善き間違いだ。
未来のためにできること。
最初の一歩は願うことだと思う。より良い未来を願い、それについて考えてもみる。未来に何を残していくべきか、何を終わらせておくべきか。これまでの何が正しかったのか、これまでに何を誤ってしまったのか。
未来は誰にとっても他人事ではないのだから、ときどきしっかり考えてみてもいいかもしれない。
みなと一緒に考えられる機会があれば、なおいいと思う。
文藝春秋SDGsエッセイ大賞2024への応募作品です。
テーマは「未来のためにできること」。
落選したけど・・・
受賞された方、おめでとうございます。