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心は観察しかできない

割と長い引用になってしまうのだけど、俺がよく考え方の参考にしている為末大さんの本の中の一説を紹介するので、皆さんも良ければぜひ。

 僕の競技人生の中盤から終盤にかけて、自分がなにをしたいか、それを成し遂げるにはどうすべきなのかということを考えるとき、次のようなアイディアをもっていました。言葉にするのが難しいのですが、あえて言うなら、自分の中に小さい子どもがいて、その子が何をしたいかということを聞いてあげて、自分が応援する。自分の心を観察してそれを達成するために頭を使うという発想です。目的達成のために自分をがんじがらめにしたところで、心というのは無邪気なところもあって、どう動くか分からないものが多いと思うんですね。

 たとえば、家族でスキーにいくと決めたとします。朝9時に出発して11時から滑るぞと決めていたのに、子どもがぐずって泣き出したりすることもあるわけですね。そんなとき、「何でぐずるんだ?せっかくもうあと2時間であそこに行くときめているのに、予定が狂うじゃないか」と親が怒る。それでも子どもがぐずって泣いていると、何とかしてそれを力ずくで黙らせて目的を達成しようとする。これをずっと続けていると、子どもは学習して、本当は行きたくないのにそういう意思表示をしなくなったり、しゃべらなくなったりする、そんなネガティブなイメージが僕にはあります。

 だからこれをひっくり返して、君はそもそもスキー場に行きたいのか?それとも違うところに行きたいのか?ということを子どもに決めさせて、その行き方を自分が考えるという感覚でとらえるようにしていました。これは表現が難しいところですが、その子の内側にあるモチベーションというのがにわかに立ち上がってきたとき、やる気が出ているときのエネルギーはすさまじく大きいような気がします。頭で心を抑え込んでしまうよりも、はるかに大きな成果が出せる感じがしたので、自分自身の心の違いを、よく観察しているようにしたのです。

下條信輔・為末大『自分を超える心とからだの使い方』


自分の中の小さな子供を扱うように自分を扱ってみる、というのはすごくおもしろい考えだと思う。

俺はけっこー自分の中の小さな子供の扱いは苦手だった。よく頭で抑え込んでいた。

前に修学旅行の引率のボランティアをしたときに、子どもが思うように動かないときに「なんでルールを守れないの!」と割としょっちゅう怒鳴る先生がいた。

きっとその人は、自分の中にいる子どもにもそうやって怒鳴りながら人生を生きてきたのだろうなと思う。「なんでそんなこともできないの?」「これくらいみんなもやってるからできるはずでしょう?」

俺もそういうタイプだからよくわかる。

心はコントロールできず、ただ観察することしかできない。

まずは自分の心をよく観察しなけばならないとよく思う。

大切な人を傷付けてしまう前に。

こういうテーマは割と興味あるから、これからも角度変えて書いていくかも。

あと、俺のノート読んでるって言ってくれた桐朋の後輩たち、ありがとな!
反応があると、俺も嬉しくなるし、紛いなりにも発信してる励みになります。

皆さんも良ければぜひ、コメントまってます!

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