矮小化の是 - 「社会を変える!」から「フォトフレームに何飾る?」へ
その昔、と言っても、それほど遠い昔ではないのだが、「社会を変える」ことを仕事の目的にしていた時期があった。若ものの奨学金支援プロジェクトを手伝ったり、地震防災のメディアを運営したり。今、思えば意識高かった。
今なんだけれども。自分の部屋のフォトフレームに何を飾るかを目的に仕事をしている。フォトフレームにどんな絵を入れるかを決めるのに必死になっている。人生って面白いものだなと思うのだけど、目指しているものが、もうなんかとても矮小になっているのだよな。
「社会」が「フォトフレーム」になってしまった。これは別に、フォトフレームは社会への扉だとか、うまい話があるわけではなく、単純に仕事がちょっと美しいもの、楽しいもの、かわいいもの、面白いものを作って、それを手の届く範囲で眺めていたいくらいのモチベーションで回るようになった、ということ。
ビジョンはどこへ行った!ミッションは!そんなことで世にバリューを提供できるのか!と問われれば、それはそこそこにできるだろう。今までの経験もあるし。なんだけど、着地点は社会を変える=社会的インパクトとかじゃなくて、作ったものが、自分の身近に置いて、ふさわしいかどうか、みたいになった。
僕は「作品」と呼ぶようなものを作って来なかった。クライアントの問題解決のためのデザイン、と思ってやって来たけれど、最近は「作品」を作ろうと思い始めた。素敵な作品を作って、部屋に飾ろう。。。まあ、大したことじゃないのだけれど、おそらく、30代の僕はそんなこと夢にも思って見なかったろうと思う。高い志と目的意識を持って、高みに到達するために、精一杯仕事をする、結果、報われるはず、みたいな。
まあでも、一生を賭けて、自分が本当に美しいもの、楽しいもの、かわいいもの、面白いものと思えるような何かを、自分の身近に納めることができたなら、それもすごいことだと思う。勿論、日々、人のために仕事をしていくし、人からお金をもらうのだけれども、最終的な落とし所は、とてもパーソナルなところに落ち着きそう。
そう言えば、友人の社会起業家が、ある時を境にアーティストというか、ミュージシャンというか、歌って暮らしている、みたいな人になった。当時はイマイチピンと来てなかったんだけど、最近ちょっとテンションわかるかもという気もしている。
アーティストになる、という話でもない。デザイナーをやる。ただ、部屋のフォトフレーム、みたいなところに、最終目標を落ち着かせたいというだけだ。そこに何を飾れるかという勝負なのだ。他人から与えられた勲章や賛美ではなく、自分の手で作り出した美しく、楽しく、かわいく、面白い、何か(最近は絵を描いている時間が多いが、必ずしも絵でなくても良い)。フォトフレームは100円ショップのもので良いから、そこに何か凄みのある何かを飾れたら良いなあと思っている。
半ば例え話なんだけど、なんだかそれくらい、矮小だけど凝縮された着地点というのを模索している日々である。
陶芸家のような心持ちで語るなら、壷中有天というところだろうが、フォトフレームの中に社会があるということだろうか(あ、結局、言っちゃった)。65歳で引退するとしたとしたって、まだ20年あるからな。道半ばだけど、時間はまだまだありそうだ。