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私が手伝えることはありますか?
『7つの習慣』(コヴィー著)で印象的な場面の1つに、コヴィーが7歳の息子に庭の芝生の管理を任せるシーンがあります。任された息子のスティーブンは管理ができずに泣き出します。息子に対してコヴィーはこう声をかけます。
「手伝えることはあるかな?」
この言葉は、主体があくまで息子であることを示しています。息子は全面的に任されており、庭の管理の責任は息子にあります。息子を信頼し、尊重しています。父であるコヴィーがするのは手助けであり、しかも息子から申し出があったときに動くということです。
不登校の次女と妻と私の三人で、担任の先生との三者面談に行きました。
担任の先生が、次女にかけてくれた言葉に、
「先生が何か手伝えることはあるかな?」
という言葉がありました。
次女が主体であることを認めてくれるありがたい言葉です。
『人を助けるとはどういうことか』(エドガー・H・シャイン著)の巻末に「プロセス・コンサルテーション10の原則」があり、その1つに「問題を自分の問題として当事者意識を持って受け止め、解決の自分なりの解決として編み出していくのは、あくまでクライアントだ。」というものがあります。主体はあくまでクライアントということです。
もちろん、本来、本人こそが主体であることに対して「手伝う」という言葉を使うと反発されるので注意しましょう。家事や育児に関して、夫が妻に対して「手伝う」という言葉を使うのは問題となります。
あなたが主体であることについて、私が何か手伝えることはありますか?