薄皮
『パーティーが終わって、中年が始まる』(pha)を読んだ。
今年で33歳になり、10代~20代前半に夢見た「何者か」にはなれないことはとうの昔に受け入れたが、心身共に健やかな中年ライフを過ごすために、先人たちから学ばないといけない。
著者は1978年生まれ、今年で46歳とのことでちょうど一回り上だ。生活の拠点を福岡県から移したことがなく、カルチャー的な動向にそこまで敏感ではなかった僕は著者の名前をSNSで聞いたことがあった程度で、これまでの活動をほぼ知らない。この年齢でここまで落ち込むことができるある種の羨ましさを感じた。タイトルの通り、高揚感があったから日常の物足りなさに絶望が生じる。
ただ、そこまでの絶望を感じるかはわからないが、僕もたしかにあらゆることへの感情の振れ幅があきらかに小さくなっており、これは成長なのか衰退なのかわからない。「30代が一番楽しかった」という諸先輩方の声もよく聞くが、僕はどうだろうか。その人のそれまでとその時の頑張り次第なのでしょう。当たり前だけど。
人生は精神的危機だらけだ。「〇〇歳 メンタル」でググると下記のような「クライシス」が出てくる。
20~30後半 クォーターライフクライシス
40~ ミドルエイジクライシス
50~ ミッドライフクライシス
現生人類であるホモ・サピエンスは40万年~25万年前に現れたとされていて、脳は1万年前くらいからサイズが変わってないらしい。その頃の平均寿命は20~30代だろう。神様もこれほどホモ・サピエンスが生に執着するとは思ってなかったんだろう。よってこのような精神的危機をもたらしたもうた。アーメン。
動画の中で東浩紀が「朝まで生テレビ!」司会者の田原総一郎を「司会者は年寄りじゃだめなのよ。それは彼の能力に関係ないの。」と批判していた。本人がいかに能力があり、分をわきまえ、上手く振舞おうと、「〇〇歳の××」という記号は意味を失わない。
「〇〇歳らしさ」という表現を忌み嫌い、抗おうとする人はいるし、僕も抵抗がないと言えばうそになるが、社会的にも精神的にヘルシーな生活を送るためには、その期待に向き合い、折り合いをつけないときついんだろうな。
僕の人生にパーティーはなかった。今後もないだろう。するっと始まった中年に力むことなく向き合いたい。
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