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やりたいことは、若い頃と変わる

ゲームをするのが好きだった。
昔から、ゲームをするのが好きで、休日はもっぱらゲームが唯一の友達だった。

まぁ、友達、いなかったんですよね。
だから、なんとなく家にあったゲームをしていたってだけ。

ゲームが好きかどうかは実際にはわからない。
多分、やることがないからなんとなくゲームをしていただけで、本当に楽しかったかどうかはわからない。

「習慣でなんとなくやってしまうものが、好きなものであり、あなたのやりたいことだ」

なんて、ビジネス書ではよく言われている。
「やりたいことの見つけ方」なんて本には、そんなことが書いてあるのだろう。

まぁ、無意識になんとなくやってしまうものは、好きなものかもしれない。
だけど、それが本当にやりたいことかどうかはわからない。

たとえば、やることがゲームしかなかった人は、本当にゲームが好きなのだろうか。
他にやることがなくて、仕方なくやっているものは、好きなものではないだろう。

他にいろんなことを試した結果、残ったものがゲームだったらどうだ。
うん、これは好きなものであり、やりたいものになるのかもしれない。

今のところ、ゲーム、なんとなくやりたいものの一つには、一応入っているんだよな。
これ、好きなものでいいんですかね。



まぁ、それは置いておいて、僕の若い頃に描いていた老後の生活って、『今まで時間がなくてやってこなかったゲームをやり続ける』ってのだったんですよ。

なにそれ、とか思われてもしょうがない老後ですけど、本当にこんなことを思っていた。
老人になって、暇になったらやるゲームたくさん買ってましたもん。

いわゆる積みゲーですね。
…数年前に金欠で全部売り払ってしまいましたがね。

これ、多分、できないな、と思う。
いざ老人になって暇になったら、ゲームとかできなくなるんだろうな、と思うんです。

なんでかって、最近でもそうだから。
ゲーム、できなくなってきたんですよね。

今日も、数年ぶりに自宅に一人きりになることがあったんで、ゲーム、してみたんですよ。
ゲーム実況ですね。久しぶりにゲーム実況したくなって、やってみたんですよ。

最初はたのしかったんですがね。
ものの2時間位で、頭がオーバーヒートしてしまいました。

やり終わったあとは、本当に頭がだるおもで、何もする気が起きなかった。
そして、その疲れは爽快感とは程遠いもの。

久しぶりにやったからかな。
それとも、年的にゲームに対して脳が追いつかなくなっているのかな。

いずれにしても、悲しい。
老後の僕の夢は、夢として消え果てそうだ。

老後、何をするか考えておかないとな。
このままだと、ボケ老人まっしぐらだ。

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