神に祈るくらいなら、自分を信じたほうが合理的
2025年、僕は厄年らしい。
男性の厄年は、25、42、61。
女性の厄年は、19,33,37,61。
厄年の場合、忘れてしまいがちなのが、この厄年が当たる年齢というのは数え年であるということ。
数え年なんで、ちょっと忘れがちです。
しかも、自分が早生まれなんかだと、もっと忘れがちです。
なぜなら、早生まれの人は、どうしても自分の年齢をズレて認識していしまう癖があるから。
なんて感じでね。
早生まれあるあるです。
なので、数え年が対応年である、厄年なんてさらに忘れがちです。
まぁ、単純に周りの同級生が厄年の時に、自分が厄年じゃないからというのがでかいですよね。
僕はまだ40なんですがね。
どうやら2025年が本厄だそうです。
なんでやねん。
僕はまだ40だ!
でも、ルール上、2025年が厄年であり、本厄です。
なんかこれだと、少し損をしているような気もしますね。まだ40なのに。
ということで、来年は本厄です。
そんで、2024年は前厄でした。
なんかあったかな。
自分的には、わりと頑張れた年だとは思う。
このnoteもなんだかんだ続けられているし、音声配信も続けている。
筋トレも毎日やっているし、さらに英語の勉強も始めた。読書も続けているし、僕は僕なりに自分を変えられたと思う。
ただ、とんでもない爆弾もあった。
父親が倒れたり、引っ越し先の隣人と騒音トラブルなんかもあった。
そうか、こう考えると、厄年ってのは自分でコントロールできないものが多いのかもしれないですね。
ならどうしようもない。
自分がコントロールできないものに自分のリソースを使うのは、おおくの場合、徒労に終わってしまうから。
そうですね。
しょうがない。
厄年で訪れる不幸は、自分にコントロールできない。
なので、やることは自分にできること。
不幸に対処する体力だったり、知識を増やしていけばいいのだ。
あと、それにくじけない精神力も大事ですね。
年が明けようとしている。
神に祈る前に、自分を強くする決意が必要だ。