誰かの為に頑張ろう!という言い訳
誰かの為に頑張ろうと思うことは、素晴らしいことだ。
誰かの為になることをしよう
誰かに貢献する生き方が正しい
誰かの為と思うと、力が数倍にあがる
なんて話しを一度は聞いたことがある人は多いと思う。
『誰かの為=良いこと』
という考えが絶対的に正しいと思っている人は多いと思う。
しかし、僕は思う。
これって単なる言い訳じゃないかと。
誰かの為に頑張ろう、は言い訳
誰かの為に頑張ろうという言葉は、体のいい言い訳のように感じる。
なぜそんなことを僕が思うかというと、自分がふとそう考えてしまったから。
「…?お前はなにを言っているんだ?」
なんて感じる人もいると思う。
うん、そうなんだ。
これは考え過ぎる、僕の悪いクセなのだ。
息子の為に頑張る、のなにが言い訳だというのだ。
『息子の為に頑張る』
大いに結構じゃないか!
なにを疑問に感じることがあるんだ!
そのままなんの疑問も持たず、頑張れば良いだけじゃないか!
なんて思う。
しかし、ふと思ったのだ。
『息子の為=自分の為』
だと。
つまるところは自分の為
結局は自分の為だと思う。
息子の為に頑張ろう!
とは言っているが、結局僕は、自分の為に頑張りたいのだ。
なぜなら、息子が幸せになると、自分も幸せになるから。
僕は僕が幸福になりたいから、息子にも幸福になって貰いたいのだ。
「なんだよ!結局、良いカッコしいの、キモ野郎かよ!」
と思われるかもしれない。
しかし、そうじゃない。
よく考えてみて欲しい。
自分が大事にしている人物に不幸が訪れると、自分も不幸になる。
なので、誰かの為に頑張るのではなく、自分の為に頑張るんだ。
なので、つまるところ、
『誰かの為=自分の為』
ということになる。
自分の為に、自分が頑張る
「子供の為に頑張る!」
という人に対して、僕は昔から違和感があった。
…なにか頑張る理由を、子供のせいにしてないか?
「あなたの為に頑張るから!」
と言われた子供は果たして本当に嬉しいのか?
「お父さんは僕の為に、無理して頑張っているんだ…なんか申し訳ないな…」
心が優しい子供は、こんな気持ちにならないだろうか?
だからこそ、僕はいっそのこと、
『自分のために、自分が頑張る!!』
と言っている人間のほうが、なにか信用ができるし、かっこいい、なんてことも思う。
だから、もっとみんな、誰かのためなんていう言い訳は捨てて、自分のために頑張るべきではなかろうかあぁあああああ!!!!
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…はい、ド偏見失礼しました。
以上です。
以前から思っていた違和感を言語化することで、すっきりしました。
ありがとうございます。
お疲れ様でした。