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誰かと話すときにコミュ障が考えていること

僕は40歳。
この年でいまだに人とのコミュニケーションが苦手だ。

まぁしょうがないんですよ。
コミュニケーションが苦手だと、幼いころから思っていると、誰かとコミュニケーションなんてできる限り取りたくなくなるのだから。

そんな状態で生き続けていると、どんどんコミュニケーションは苦手になり続ける。
そりゃそう。だって今まで逃げてきたんだから。

苦手だから逃げる。
逃げ続けていると、いつまでたってもうまくいかない。

当たり前です。
自転車に乗りたいと思っているけど、自転車に乗ったことがない人はいつまでたっても自転車には乗れない。

それと一緒です。
コミュニケーションが苦手だと、コミュニケーションから逃げていると、いつまでたってもコミュニケーションは得意にならない。

当たり前。当たり前すぎて反吐がでます。
そうそう、僕はここから逃げ続けてきたんですよ。

他のことでもそう。
逃げ続けていると、ただでさえハードモードな人生が、ベリーハードコアモードになってしまう。

そんなモードがあるかどうかは知らんけど。
まぁね、だから最近逃げないようにしているんですよ。コミュニケーションから。

たとえば、僕は誰かと話をしなくてはいけないとき、どうしても終わりを考えてしまう。

  • どうやってこの話しを終わらせようか…

  • どうやったらこの人との会話が終われるだろうか…

  • あぁ、だれか他の人が来て僕の代わりに話してくれないだろうか…

なんてね。
だれかと話すときに僕が考えていることはこんなのです。

…誰がこんな奴と話したいんだよ!

いやな奴ですね。
でも、割とやりがちじゃないですかね。僕みたいにコミュニケーションが苦手な人って。


…そんなことやらない?
そうか、僕が特殊だったか。

おしまい。

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