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人生に満足するかどうかなんて、しょせん勘違い
忙しい。
なにか年を追うごとに忙しくなっているような気がする。
プライベート、仕事にかぎらず年齢を重ねるごとに忙しさが増してきているような気がする。
昔は忙しいなんて全然感じませんでした。
独身時代は、暇を持て余してばかりで、よく友達とグダりながら、
「…みんな休みの日はなにしてんのかねぇ」
なんて話をしていました。
生産性のない話です。
そんな話をしているくらいなら、なにか楽しめるようなことを考えて、それに力を注いでいればよかったのだろうけど。
忙しさに追われる、なんてのが自分に訪れるとは思ってもみなかったな。
僕はどこか時間は無限だと思い込んでいたのかもしれない。
いや、そりゃいつか死ぬ、ってのはわかっていましたがね。
それでも、10代、20代、30代前半くらいまでは、そんな実感はないですよ。
でも、そんな僕も40代に入るとね、死を意識せざるを得なくなります。
早いかもしれませんがね。
「あと、だいたい半分で人生は終わるんだな…」
とか思うと、時間の大切さに気づくわけです。
んで、その時間を有意義に過ごしたいと思った矢先です。
忙しさがどんどん自分に迫ってくる。
今日は時間がある日だと思っていたのですが、なんだかんだやることが多い。
引っ越しの手続きだったり、入院している父親の面会だったり、今度お出かけするための予定決めだったり、それに加えて資格勉強もしなくてはいけない。
なんかね、多分自分が望んでいる部分もあるんです。
僕がみずからその忙しさに突っ込んでいっているという部分もあると思うんです。
時間を有意義に使いたい
→なにかしたい
→じゃあこれをしよう
→いやいや、こんなのもいいんじゃない?
→いやいやいや、せっかくだからこれもしようぜ!!
→時間がない!!どうしてだ!!
お前のせいだよ。
それ、だいたいはお前のせいで時間がなくなっているんだよ。
時間を有意義に使おうと思えば思うほど、時間ってのは消耗していくわけだから、そりゃ当たり前です。
有限の資源を使っている感覚ですよね。
その資源を使わないと、あたらしいなにかを生み出すことはできないけど、かならず必要なもの。
それが時間なのかもしれないですね。
とすると、みんな本来は時間がほしいわけではないのかもしれない。
みんな、時間ではなくて、なにか別のものがほしいのかもしれない。
それがなにか。
自分が納得できる経験ですかね。
自分が納得できればそれでいいんですよね。
それが例え、ゲームだろうとなんだろうと、自分が納得できる経験であればそれでいいんです。
なので、勘違いとも言えますね。
勘違いで、納得できればそれで人生ハッピーなんでしょう。
さて、入院している父親にでも会いに行きます。
これは、納得できる経験でしょうか。きっとそうです。
お疲れ様でした。
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