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「自分にはこんな道があったのかも知れない…」と思う時
自分にはこんな道もあったのかも知れない。
なんて、思う時ってありますよね。
若い時、たくさん努力をしていたら…
あの時、あの道を選んでいたら…
なんて、考えたことがある人は多いと思うんです。
そりゃね、人によって、その後悔度は違います。
本当に心の底から、「あの時の選択が…」と本気で後悔している人もいれば、
「…まぁ、そんな道もあったかもねぇ」と軽く思う人もいる。
この話しは、後者の人間の話だ。
後悔に意味はないけど…
後悔なんて言葉は好きではない。
なぜなら全く意味がないから。
時間は決して戻らないし、後悔している時間がもったいないから。
後悔しているくらいなら、今一つでも何かを勉強していたほうが生産性がある。
…なんて意識高いことを考えてはいるが、まぁ、今回は後悔の話だ。
僕は、若い頃にバンドを組んでいた。
文化祭に出たり、地元のお祭にでたり、ライブハウスでライブをしたりもしていた。
高校時代は、地元の陰キャと。
大学時代は、大学の陰キャと。
と、まぁ、陰キャが陰キャバンドを組んで、それでも楽しくやっていたわけだ。
若い頃にこんなことをしていると、思うのは、
「バンドで飯を食おう!!」
なんてのだと思う。
実際バンドを組んでいた仲間の数人は、本気で飯を食おうと思っていた人間もいる。
しかし、僕はそうじゃなかった。
「音楽で飯を食うなんて無理だろ…」
「そんな甘い世界じゃない…」
「自分にはそんなポテンシャルはない…」
なんて、リアリストを気取った、やらない言い訳ばかりをしていた人間だった。
まぁ、そんな人間だと、後悔するんですよね。
あの時、あんな道もあったな、と
あの時、本気でやればよかったな、と。
どうして、やれなかったのか、と
後悔先に立たず。
後悔なんて意味はない。
しかし、どうしてもふとしたタイミングで後悔が現れる時があるんです。
自分にはこんな道があったのかも知れない…
先日、思いもよらず、レジェンド的な人間を見る機会があった。
現在アラフォーでバンドをしていたりバンド音楽が好きな人間なら、一度は聞いたことがあるのではないかというバンド。
『ELLEGARDEN(エルレガーデン)』
というバンドのボーカルだ。
知らない人は知らない。
事実、僕の妻は知らなかった。
とはいえ、レジェンドであるのは変わりない。
このボーカルがやっている現在のバンドが、地元の無料フェスに来ていたのだ。
見た。
たまたまそのお祭りに行き、たまたまそのバンドを知り、たまたまその人を見たのだ。
まぁ、楽しかった。
現在のバンドの曲は知らなかったし、大ファンと言うわけでもないので、ゴリゴリに盛り上がったわけでもないのだが、楽しかった。
こんな時にふと思うのが、切ない気持ちだ。
楽しいは楽しいのだが、ステージを盛り上げている彼を見ると、すこーしだけ思う。
「…自分にもこんな道があったのかもしれないな…」と。
「…あの時、本気でやっていれば、あのステージに立っていたのは、自分なのかも知れない…」なんてのを。
…まぁね、多分無理なんです。
本気の本気でやろうが、僕には到底無理なのでしょうが、思ってしまうんです。
では、どうしてこんなことを思ってしまうか。
『あの時、本気でやっていなかったから』
なんですよね。
何事も本気でやろうとしなかったから、後悔するんです。
本気でやらなかったから、「あの時本気でやったら…」なんて思うんです。
仮にその当時、本気で全力で挑戦していたら、こうはならない。
「本気でやったんだもん。これでだめならしょうがない…」
と、吹っ切れると思うんです。
後悔するのは、本気でやっていないから。
後悔は先に立たない。
後悔しても意味はない。
後悔するくらいなら、今やれることを考えるしかない。
アラフォーだ。
アラフォーがやれるのは、これから後悔しないための行動だ。
10年後、20年後、後悔しないよう、本気で生きようと思う。
ありがとうございました!
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