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シュレーディンガーのねこと、感染

多分、コロナ。

おそらくかかっている。

妻と息子がかかっているので、おそらく僕も陽性に間違いない。

しかし、検査キットはまだ使っていない。

なぜか。

現実を見たら、もっと具合が悪くなるような気もするし、なによりそれを見なければ、僕はコロナにかかっていないということになるから。

シュレーディンガのねこと一緒だ。
今僕には、コロナにかかっている現実と、かかっていない現実がある。

それを確認しない限り、永遠にねこは死ぬことはないし、コロナにもかかってないということになる。

「…いやいや、周りの迷惑になるかもしれないんだから、さっさと検査しろよ!」

と思われるかもしれない。

確かにそう。
どちらに転ぼうが、ここは検査をせざるを得ない。

しかし、少し待ってほしい。

たとえば、僕が検査をするのはどうしてか。

周りに感染を広めないためだ。

では、僕が検査をしなかったら、どうなるか。

だれも検査をしない。

僕が検査をしない限り、周りも検査をしないということは、仮に誰かが僕から移っていたとしても、それに気づくことはない。

これもシュレーディンガーのねこと一緒だ。

観測者が観測しない限り、その状態は確定しない。

であれば、この場合、観測するのは、正解なのか?

ねこには生きていてほしいし、コロナには感染していたくない。

であれば、観測しないのもありなのではないか?

…いや、ごめんなさい。
検査します。

冗談です。
少し言い訳したくなっただけです。

短いですが、以上です。
おはようございます!


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