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父親が脳梗塞で倒れて思うこと

父親が脳梗塞で倒れた。

話はたどたどしいながらもできる、らしい。
歩けはしないが手で物はつかめる、らしい。

らしい、というのは僕が父親に会えていないから。
今日が日曜日だからとか、今でも病院はコロナの影響で面会制限があるから、という理由がある。

そうか、父親が倒れても会えないのか。
コロナが5類になった今でもこんな感じか。

じゃあこれが5類になる前のコロナ禍なら、どうなっていたのか。
もしかすると父親が死ぬまで会えない、なんてパターンもあったかもしれない。

というか、あったでしょうね。多分じゃなく、ぜったいあった。

うーーん、父親が倒れた今、僕がどんなことを思っているか。
不思議と落ち着いている。

どうも頭はよく回っていないような気はするが、思ったよりも冷静な気もする。
とはいえ、心配事はある。

これからどんな生活になるのか。
介護生活になるのか。
お金はどうする。

なんていうね。
どうも味気ない悩みです。

父親はどんな気持ちなんだろう、とか。
父親が今なにを考えているのだろう、とか。
父親はどうすればこれから幸せな生活をおくれるのだろうか、とか。

こういった悩みってのは、後回しになってしまいます。
どちらかというと、お役所的なやるべきことがたくさんあるだろうから、それをどうやってこなそうか、という悩みの方が圧倒的に多い。

どうもね、こんなもんですかね。
僕が40だからですかね。つまんない大人になってしまったな、と思います。

しかし、40でこうなるか。
40で介護生活になるか。

別に遅くないよね。
しかし、それでももう少しあとになると思っていたな。

50代くらいだと思っていたな。
介護生活なんて、他人事だと思っていたな。

頑張らないとな。
父親のためにも、なにより自分のために。

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