異境備忘録 意訳2
一、大綿津見神の中にて海境の大英傑と称し奉りて御姉を龍飛様、弟を龍徳様と申して御二柱神共に海宮にて勝れ給へる御方にて、龍飛様は御歳の頃十六七歳許りの御容貌にて実に御面貌の美しき事比類なし。御髪は長さ七尺許りにして其御髪を風切の冠と云ふに巻き付け給ふ。鈿は孔雀三十六尾の天真器を差し給ふ。魚鱗のつきたる青衣を着し給ひ、御腰に三十六の紫白の交りたる鱗形の長き緒を垂れ給ひ、龍頭の剣を佩き給ふ。龍徳様は御歳ころは十五歳許りにして面は白きこと雪の如く御髪は黒くまして長さ一尺ばかりなるが立上がりたり。御額は金色の鉢巻をなし、後にて結び其緒の端は長く坐上に垂れたり。御衣は黒白交りの鱗形を着し給ひ、御腰の左右に佩玉三連づつ付け給ひ、龍頭形の剣を佩き給ふ。此二神は少名彦那大神の補佐をなし給ふ御神にまして人に神憑し給ひて、諸の事を教へ給ふ御神にますなり。此二神の御慈愛を受るときは御染筆を給はるは更にて海境へも入ることを得るなり
大綿津見神(海神界の神々)の中で海の仙境の大英傑と名高い姉妹の神仙(かみ)がおられ姉神を龍飛様といい、弟神を龍徳様と申し上げて御二方ともに海神界では優れた御方々であり、龍飛様は16、7歳くらいの少女のお姿でお顔の美しいことは比べるものがないほどである。髪は2メートルほどあり風切の冠というものをかぶって巻き付けておられる。かんざしは孔雀の尾を36尾使った天真器を挿しておられる。魚の鱗のついた青い衣を着ておられ、お腰には紫と白の交わった鱗型の長い玉緒を垂れておられ、龍の頭の形の柄の剣を佩剣しておられる。龍徳様は15歳くらいでお顔は雪のように白く、髪は黒く30センチほどだが逆立っておられる。額には金色の鉢巻をなされていて後ろで結びその長さはとても長く、座っていても長く垂れている。黒と白の混じった鱗型の衣を着ておられて、お腰の左右に佩玉を三連ずつつけられて龍の頭の形の柄の剣を佩剣されている。この御二方の神様は少名彦那大神様の補佐神であり、道を求める修行者に神懸かりして、様々なことをご教示くださる役目の神様である。この御二方の神のお導きを受けるときには直々に御染筆をくださるし、海神界などへも出入することも許される
一、病気のときに先祖代々の中の霊の眼前に見はれて泣く状の見ゆる時は病気は平癒せずして必ず死す。我体の平臥せる状の見ゆる時は其身死したるなり
病気になった時に先祖の霊が目の前に現れて泣く様を見た時は病気は平癒せず必ず死ぬ。自分の肉体が横たわっているのを見た時はもう死んでいる。
一、神境にて人間界の塩と紙とを用ゆ。其余のものは用ゆることなし
高天原などの神界でも塩と紙とは人間界のものを用いる。その他のものは基本的には用いることはない
一、仏境は其入口に大なる川ありて舟三艘岸に着きゐたり。其舟にのりて其川を渡る時は大なる黒木の門あり。右の方は冥宮の館あり。左の方松樹生ひたり。黒木の門を内に入れば大なる砂漠なり。ここを過ぐれば大海あり其色茶色なり。其中に上の大なる山あり。檳榔樹躑躅の花三段に咲き、実に美麗なり。是れ遙に見る所にして此砂漠の岸には舟ありといへども其界の許しなければ容易く近つき見ること能はず。然るにこの山にはアララウツタラの二仏仙釈迦氏の宮ありといふ
仏界には入り口に大きな川があり三艘の船が川岸に停泊している。その船に乗ってその川を渡れば大きな黒木の門がある。門の右方には仏仙(仏教の高僧たち)の館がある。左方には松木林がある。黒木の門の中に入れば大きな砂漠が広がっている。その砂漠を通り過ぎれば大きな海があるが水の色は茶色である。その中に上が大きな山があって、躑躅の花が三段に咲き誇りとても美しい。これらは遠くから見るだけで仏界に入るには許可がいるので、簡単に近づいて見ることもできない。この山にはアララ、ウッタラの二人の仏仙と釈迦の宮殿があるという
一、神仙界の刑法所は三ヶ所あり。一所は北に向ひ菅原道真公、武内宿禰の二霊此所を常に掌り給ふ。菅公は左冥司大之中津大兄官にまして武内宿禰は右刑司中津大兄官なり。一所は南に向ひ、右の一所と川を隔てて向会ひたり。此所は大国主神及び少彦那神の代命事代主命掌り給へり。一所は大なる杉林の中にあり。此所は神霊等の大罪によりては霊魂をも消滅する刑場なり。武甕槌神の掌り給ふ所にして神界の兵器などあまた飾り立て、其厳重なる事言語の及ぶ処にあらず。此所の殿は黒塗にして皆神等も黒衣を着し給ひていといかめし。さて此所は日光の及ばざる所にして蔭地なり。如何なる訳にや裏門を消却門といひて支那国の顔真卿其門番に坐せり
高天原(神界=神集嶽神界)の刑法所は三ヶ所あり、一つは北にあり菅原道真公と武内宿禰の御二方が常に管理なさっている。菅公は左冥司大之中津大兄官の位であり武内宿禰は右刑司中津大兄官である。一つは南にあり、もう一つと右の川を隔てて向かい合っている。南は大国主大神と少名彦那大神の代理神の事代主大神が管理なさっている。またもう一つは大きな杉林の中にあり、ここは神霊などでも大きな罪を犯せば二度と輪廻も復活もしないように霊魂を消滅させる刑場である。ここは武甕槌神が管理している所であり、神の世界の武器や兵器などを数多飾り立てて保管している武器庫でもあり、その管理の厳重さは言葉にできないほどだ。この建物は黒塗りでそこで働く神々も黒い衣を着ておられるのでとても厳めしく見える。さてこれらの場所は日光の及ばない暗い陰地であり、どういうわけだかわからないが裏門を消却門と呼び、その門番を中国の政治家で書家の顔真卿が勤めている
一、本は日本の産にて支那の仙界にある者は役小角、橘広継、常陸坊海尊、聖徳太子、大津皇子、菊岡文坡なり。然るに役小角と聖徳太子とは其本は仏仙界にありしを仙界に遷りたりといへり
元々は日本の生まれだが今は中国の神仙界にいる方々は、役小角、橘広継、常陸坊海尊、聖徳太子、大津皇子、菊岡文坡である。さて、その中でも役小角と聖徳太子は元々は仏仙界に所属していたが今は神仙界にうつったという
一、大空を飛行するには三道あり。第一上道を飛行するは皆尊き神等にて只金の如く光りて其状は見えず。第二中道は神使道といひて諸の幽界の使者の通行する所なり。第三下道は天狗界の通行する所にて諸国の大社の上をばよけて行くなり。右之三道は空中の気によりて別あり。
大空を飛行するには三つの道を通る必要がある。一番上の道を飛行するのは皆尊い高位の神々であって、その姿は金色に光り輝いて詳しくは見えない。第二の中の道は神使道といって色々な世界の使者の通行する道である。第三者の下の道は天狗界の通行する道であり、全国の大社の上を避けて通るものである。これらの三つの道は空中の気によって違いがある
一、日本国の深山にて御舞台と唱ふる所五ヶ所あり。各御舞台と唱ふるは方一丈の岩なり。毎年六月十五日茯苓、松脂、生蜜及び人間界の糧煎を交へて青竹に入れて御舞台の岩下中央に埋め置きて十二月大雪の時に俄に幽界に入りたる人等、其所に集りて八丈笛を六七人もして吹き、歌を謡ひ天女御舞台にて二人舞ふなり。舞終りて彼の埋め置きたるものを取出して分配して各々別るるなり。其埋めたるものの色は鼈甲に似たり
日本全国の深山幽谷の中で御舞台と呼ばれる場所が五ヶ所ある。それらの御舞台といわれるのは3.3メートルほどの岩である。毎年六月十五日に漢方の茯苓、松脂、蜂蜜と人間界の食べ物を混ぜて青竹の筒の中に入れて、御舞台の岩の下の中央に埋める。それを十二月の大雪の時に神界に入った人たちがそこに集まって、八丈笛を6、7人で吹き、歌を歌い、天女が二人御舞台の上で舞う。舞が終わって六月に埋めたものを取り出して皆で分配して解散する。その埋めたものは鼈甲に似たような色合いや形になる
一、幽界は八通に別れたれども、又其八通りより数百の界に別れたり。然れども宇内の幽府は第一に神集岳、第二に万霊神岳なり。数百の界の中に奇なる界あり。其界は婦人多くして男少し。婦人の衣服は美しき獣の皮と孔雀及び美麗なる鳥の羽を交へて作るなり。其美しきこと舌頭の及ぶ所にあらず。面貌も皆極めて美なり。玉門の形は椰子を見たるが如き物出て、時々其口を開きて火気を放つ。されど物を焼くことなし。食物をも其玉門に入れて炊ぐなり。時ありて出せば煮えたり。其物をもて食するなり。男は皆先祖の霊を祭るを以て家格とす。衣類は大蛇の皮及び獣の毛皮を以て作りたり。男茎はいかなる形なるか愧じてあらはさず。此界は地球中の人の如く生死あり。上古より気道絶えて日本の明治五年までは通行絶えたるを大幽府の改革によりて気線を通じて幽界に入りたる人は往来せり。 其界の事は今より後に幽界へ出入する人より詳なる事も必ず聞え来るべし
神界は大別すると八通りに分かれているが、その八通りからさらに数百の世界に分かれている。けれど、宇宙の神の世界の第一は高天原である神集嶽神界であり、第二は様々な世界が寄り集まった萬霊神嶽神界である。その数百の世界の中に奇妙な世界もある。その世界は女性が多くて男性が少ない、女性の服は美しい獣の皮と孔雀などの美しい鳥の羽を交えて作る。その美しさは言葉にできないほどだ。女性の顔やスタイルもとても美しい。玉門(女性器のこと)の形は椰子のようなものが出ていてそこから時々口が開いて火を放つがその火は物を焼くことがない。食べ物をその玉門に入れて煮炊きする、時間が経てば煮炊きができている。その物を食べる。男は皆先祖の霊を祀ることを以って家の格式としている。衣類は大蛇の皮や獣の皮で作っている。男性器はどのような形か恥いって隠して出さない。この世界は地球の人のように生死がある。古代にその世界との空中の道は途絶えて日本の明治五年までは他の世界との通行は絶えていたが、あの世の大改革があって道が通じてあの世に入った人や神仙などはその世界と往来している。この世界のことは今後にあの世に出入りする人から詳しいことを必ず聞くことになるだろう
一、杉山僧正を天狗と余が呼びし時に僧正が「我は天狗の主領にして天狗にはあまた通りあれども我界にては鷲鳶の年経たるを天狗と呼びて、人間界より来れるは皆山人とのみ呼ぶなり。我嘉永年間までは杉山僧正と呼びしが、故ありて杉山清定と改めたり」といへり。
杉山僧正(天狗小僧寅吉の師匠の高位の神、仙境異聞を参照されたし)を天狗と私(宮地水位)が呼んだ時に、僧正は「私は天狗の主領で有るし、天狗には沢山の種類があるけれど、私の世界では鷲や鳶などが長生きして霊性を帯びたものを天狗と呼び、人間の世界から来たものは皆、山人(さんじん)とだけ呼ぶのだよ。私は嘉永年間(幕末、孝明天皇の御代)までは杉山僧正(すぎやまそうしょう)と呼ばれていたが、理由があって今は杉山清定(すぎやませいじょう)と名を改めたのだよ。」と言った
(上記の2点は天之息志留日日津高根火明魂之王命杉山清定全君の御神図であり少し前までは秘密のヴェールに包まれていたお姿ですが、異境備忘録の記述をより理解するために、また神仙との結縁のためにここに掲げておきます。古川陽明 謹んで記す)
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