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【空気を読まない】の中身の話

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。


日本の文化では、その場の空気感を読んで行動することにポジティブな評価をすることが多いように感じています。
そのため、その場の空気感を読むことが苦手な人は、必然的にネガティブな評価を受けるような状態です。


空気感を読むのことが苦手な人は、その場の空気感を全く捉えることができない人ばかりなのでしょうか。


【空気感を読むことが苦手】の中身にはいくつかパターンがあります。

その中でも一番見落とされていて、誤解されるのが、【一生懸命読んでいて本人は必死だけれど、表現したときに周囲とズレが起きている】パターンだと思っています。


彼らは一生懸命空気を読むんです。
周りの人のことをよく見ていて、他の人が気づかないような人の動きにも反応をしています。
そのため、「このようにふるまえばいいのかな」と自分なりの推測を立てることはできているのです。

ただ、この推測の中身が周りの人の望むものと異なっていたり、周りの人の望むものと同じだけれど表現の仕方が特異であったり…。

もちろん、周りと合わせなければならないこともありますから、周りが指摘ることは必要でしょう。

ただ、そこで「空気読んでね」という内容で話してしまうのは、マッチしていないように感じてならないのです。


だって空気は読んでいるから。
必死で一生懸命読んでいるんですよ。
空気を読んだ結果、出した行動が周りと距離があいているわけです。

伝え方としては、「○○のときは△△してほしい」とお伝えしたり、ご本人がどのようなところから今回の答えを導き出したのか伺うことで距離を縮めることにつながるのではないかな…と思っています。


【できていない≠一生懸命ではない】

この視点って大切だなぁと思いました。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。


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越路つぐみ
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