嫌いなことを嫌いにしているのは誰?
アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。
みなさん、1つくらいは嫌いなことってありますよね。
私は1つどころではないんですけれど、みなさんはいかがでしょうか。
私にとって嫌いには種類があります。
私自身が純粋に嫌いと感じていることと、周りのリアクションがしんどいから嫌いって感じていることの2つです。
純粋に嫌いと感じていることは、私の好みによっているところが大きいです。
私は面倒くさがりなので、私が面倒と感じたことは嫌いです。
そして面倒だと感じる沸点は人よりずーーっと低いです。
まぁ、人ですからね、嫌いなものはある一定あるもんです。
全く嫌いなものがない人はいませんから。
私がまずいなぁと感じたことは、後者のほうですね。
周りのリアクションがしんどいから嫌いになっているもの。
ここに入っているものは、もともと私にとっては好きだったり、好みだったり、楽しめていたものが入っていることがあります。
元々嫌いなものがないわけではないのですけれど、量で考えると、最初は嫌いではなかったものばかり。
正直最近まで、私はあまりこのことに疑問を感じませんでした。
でもある時にふと、「あれ?これはもしや…」と気づくきっかけがありまして、よくよく点検してみたら「もとから嫌いなわけじゃないね」ということにたどり着いたわけです。
本来であれば、私は私の好きなものを素直に好きとして置いていいはずですよね。
だってそれは私が持っている私の権利ですし。
他者からの評価で私が嫌いになる必要はなかったはずなのに、不思議だと感じました。
それと同時に、何かに対して意見を言うときに、相手の立場に立っていうことの大切さを改めて感じました。
無理にほめろという話ではなくて、どこにだって必ず、「ここ素敵ね」ってところがありますよね。
そこをちゃんと相手に伝わるように伝えていく必要があると感じています。
その軸は上手下手だけではないと思います。
そういう意味では、伝える側にいろんな感性がないと、無数にある素敵なものをキャッチして相手に届けることは難しいなとも感じます。
そして自分が受け取るときは、相手の言っていることが唯一の答えではないということと、相手はきっとよい意図をもって伝えてくれるはずと、頭に置いて聞ける余裕を持ちたいですね。
伝え方、捉え方は千差万別ではありますが、相手のこれからの未来のことを考えて、未来のためになるような伝え方で発信していってもらえるといいなと思っています。
私自身も、未来につながるようにどう伝えるか今後も考えて発信していきますし、感性を今まで以上に磨いていく必要があるなと感じました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。