見出し画像

【グループ展を主催してみる。】②人をあつめる-大学編-

(※文中に酒カス表現が含まれます)

 2024年5月1日

 グループ展の日時や場所など、大体の土台は整った。
 第一関門は、巻き込まれ要員……ならぬ人員募集である。

 私は大学で出版サークルに所属している。幸いなことに、クリエイター気質の学生が集まりやすいサークルだとは思う。
 ただ、大きな不安は、この企画に乗ってくれる同期がいるかどうか。

 正直、私に人望があるかどうかと言われたら、答えはNoだろう。
 第一、サークルを引退してもう1年以上経つのだ、サークルの同期ともあまり言葉を交わしていない。何より、就活でピリピリしている中、私の「しょうもない」発案に乗ってくれる人がいるとも思えなかった。
 あと。受け身、様子見、不和雷同。
 所属サークルにはこの三拍子が揃っているので、私はいつもひとりで空回りしている気持ちになる。「またあいつが変なこと企ててるよ」と笑われている気がする……。『私の日課は被害妄想』、倉橋ヨエコの歌詞が脳裏をよぎるのだ。サークルで一番しんどい年の2月、電車に揺られながら聴いていた日々を思い出す。大変病んでいる。

 個人的に声をかけるのは、どことなく申し訳なくて気が引けた。サークルの人たちは優しいから、私を気遣って無理やり「巻き込ませたく」ない。結局のところ、私にはいつも自信がない。否定されるのが怖い。『私の特技は自信喪失』、倉橋ヨエコの歌詞が脳裏をよぎるのだ。あれから、聴くことは少なくなった。いいことなのだろうと思う。
 きっと、最後まで誰かに助けてほしかった。

 そんなこんなで、グループ展の発案をサークル同期だけをフォローしているTwitterアカウントに投稿することに私は決めた。
 リプライで乗ってくれる大学同期が一人もいなければ、私はグループ展の開催を早々に諦めるつもりだった。ということは……今考えれば、みんなが巻き込まれてくれる未来をどこかで信じている気持ちもあったのだろう、と思う。

1/4のフォロワーがいいねをくれた

 投稿してすぐ、1人目の同期が「おもろそ」と声を上げてくれた。
 私が今のサークルでいちばん最初に仲良くなったHちゃんだ。

 最初に話したのは、大学1年生の秋。私も彼女も、サークルで発行している出版物のレイアウター軍団の一員だった。あまりにもデザインセンスとスキルがない私の相談に乗ってくれたのがHちゃんだった。

 大学生のバカみたいな飲み会でも、Hちゃんはしっぽりと日本酒を嗜む。フルーツが苦手だから、カクテルやサワーが飲めないというかわいい一面がある。(かわいい一面があるというか、全面かわいい)
 Hちゃんは、私と違って酒の節度がわかっている大人だ。酒をバカスカ飲む私を窘めてくれる、頼れるお姉さんなのだ。

 そして、絵も文章も上手い。
 Hちゃんは、かの有名な小説執筆ゼミに入っている。校正のお手伝いという名目で、ゼミ選考の課題の作品を読ませてもらったけど、まじパない。語彙力なくてごめんなさい。展示は、もしかしたら卒論の小説を飾ってくれるかもしれない。
 あとさっきから言ってるけどイラストも素敵なのだ。私が推しアニメの聖地巡礼に行ったとき、東京からはるばる私の推しの手描きイラストを送ってくれた。
 私、大学1年生のときから、「コミケ出たら売り子やるから呼んでね」って言ってる気がするよ。

 私が病み散らかしてるとき、だいたい連絡をくれる。私は外に連れ出してもらったことが2回ある。
 1回目は、大学2年生のとき。サークルで鬱になった私と、気分の上がるデパコスを新宿で探してくれた。SHISEIDOが似合うお姉さんは、SHISEIDOの鮮やかなオレンジリップを買った。解釈一致だった。
 2回目は、大学3年生のとき。ほぼ1年違い。就活で大鬱になった私と、恵比寿でカフェ巡りをしてくれた。中が空洞の揚げドーナツ、ベニエを外のテラスで食べた。『プリンセスと魔法のキス』に出てくるお菓子だ。実際に提供しているお店は珍しいらしい。うちらが食べたの結構レアだったぽいよ。

 Hちゃんの好きなところ。「愛されている」という自負を傲慢にも抱いてしまうほどには、私を大切にしてくれるところ。
 1年前の誕生日プレゼントで、コスデコの真紅のネイルカラーを貰った。「あなたに『似合う色』ではなく、『付けていてもらいたい色』を選んだ」と言ってくれた。今年の誕生日プレゼントでは、エレガンスのワインレッドのアイシャドウを貰った。「今年はあなたに『似合う色』を選んだ」と言ってくれた。そんな気遣いが心の底から嬉しかった。

うれしい

 その夜、サークル同期と電話をした。
 「研究所のカエル逃がしちゃって病んだ」やら「なんとなく寂しくなっちゃった」やら、いきなり掛かってくるグループ通話。
 LINEグループ名は『メンヘラ』ではなく、『莫逆の友』である。いちばん最初は『ジムに行く会』だった。今のところ、ジムになんか行く気配はない。莫逆の友は、もともとよくお酒を一緒に飲みに行っていた人たちで構成されている。そう、先ほど「酒をバカスカ飲む私」と書いたが、一緒になって私の隣でバカスカ飲んだくれていた人たちだ。

 Yがおもむろに「展示品ってなんでもいいの?」と聞いてきた。うちのサークル員は皆総じてツイ廃なので、当たり前のように私の投稿も見ているのだと思った。
 私は「なんでもいいよ」と答えた。
 Yが、「じゃあ服作りたい!」と言った。

 Yの第一印象は、声が大きくて気(と我)の強い子。「ちょっと男子〜!」みたいな女の子いるじゃん。正直、仲良くなれないタイプだと思っていた。先日わかったことだけど、Yも私に対して最初は同じことを思っていたそうだ。

 酒飲みメンツで仲良くなって、打ち解けたいま思うのは、ひたすらにまっすぐな子だな、ということ。
 曲がったことがキライ、法律違反が大嫌い、妥協はしない。あと巨乳も嫌い。
 「人嫌い〜」と言うくせに、みんなのことが大好きなことはみんな知ってる。Yは、そんな純粋無垢なツンデレお嬢様なのだ。異世界モノの女主人公とか『花ゆめ』ヒロインやってそうな生き様。

 それでいて、意外とこざっぱりしていて、とっても優しい。
 「好き」とか「嫌い」とか恋愛のすべてがわからなくなった、キンミヤ焼酎が私の敵となったあの(忘れられない)夜、スマホ越しのだる絡み通話に付き合ってくれたのはYだ。私が進路を諦めてゴミ箱に投げ捨てようとしたキンミヤ焼酎の夜(同じ日やん)、「もったいないと思う」と背中を押してくれたのはYだ。
 その後、そう言ってもらったから私は結局この道に決めたのだと伝えたら、「私の発言のせいで、あなたの短い生命線を現実にしちゃうってこと!? ごめん!」と謎に謝られた。そういう、濁りのないまっすぐな純粋さが好きなのだ。
 ふたりとも過労死せずに生きていきましょうね。30歳で切れている手相は、マッキーとかでぐりぐり書き足してみたら未来も変わるでしょうか。

 ちなみに、Yには「呪いをかけることができる」という超能力がある。友達のDは、Yに口内炎の呪いをかけられて口内炎になった。私は、巨乳アンチのYに呪いをかけられて胸が縮んだ気がしている。
 いちばん面白いのが、これが遺伝だということ。Yのお母さんのあだ名は「デスノート」らしい。土曜日の朝、山手線渋谷駅で吹き出したのは内緒にしたい。言霊だけでなく眼力までも強いのが、我が友Yなのだ。

 ちなみに彼女は、「グループ展であなたの服を作る! シンデレラにする!」と意気込んでいる。どうやら私は歩くマネキンにされるらしい。

 「展示するもの何もないけど、キリンの絵飾ろうかな〜」
 そう言っていたのはDだった。
 口内炎の呪いをかけられ、研究室のカエルを逃がして病んで電話をかけてきたリケジョのDである。

 初めて出会ったのは、大学1年生の夏だった。不思議な、掴みどころのない子だなというのが第一印象だった。嬉々として女子校生活12年トークを語っていたのを覚えている。というか、私が女子校12年の人間に出会ったのが人生初で、よく覚えている。サバサバした女子校ぽさがあるな、と感じたのも確かだ。

 大学3年生のとき、サークル同期とキャンパスですれ違った回数がいちばん多かったのがDだった。2限と3限の間、図書館に向かう道、ゼミ終わり、階段の踊り場。
 猛者みたいな時間割と教職課程と研究室で忙しい彼女は、大学に囚われの身だと私は勝手に思っている。毎日上がる「Day〇〇」の限界ストーリーを楽しみにしている反面、心配が勝ることもしばしばである……いやしばしばじゃなくて、毎日。

 一度、Dと異文化体験をしに行ったことがある。
 初めて応援上映に行ったのだ、某ヤクザの足の長さが10mあるやつ。私のせいで上映開始時間に25分ほど遅れ(まじでごめん!)、前から2列目で大スクリーンの綾野狂児の足を見上げていた。
 私たちにはまだ早い世界だった。東大の文化祭の、シンセサイザーが鳴り響くクラブみたいな一室に近い。

 ふわりゆらり、のらりくらりとしているけど、とっても芯があるし、思ったことはガッと言うし、それでいて人を傷つけない。酔うと急に腕相撲大会を始めるし、強いし、Yと「恋愛って……なんだろうね」って語り始めるし、見てて飽きないなと思う。
 掴みどころのない初対面から3年経って、少しは猫のしっぽを掴めるようになった気がする。でも、さっき「のらりくらり」って調べたら「掴みどころのないさま」って出てきちゃって少し笑った。

 そういうわけで、「展示するものが何もないわけがない! カエルの写真展示してー!」とみんなで言っている。
 私たちは、紛うことなき天才的クリエイター集団なのだ(そういうことに、なった)。いろんなものがあった方が絶対に楽しいよーという思想を押し付けてみたい。ちなみに私はカエルが好きだ。地元が大田舎なので、田んぼに入っておたまじゃくしを延々と掬っていた思い出がある。
 というわけで、カエルもキリンもそれ以外も待ってます。

 朝起きたら、「創作グループ展やるんですか!? 私が寝てる間にすげえおもろそうな話になってるじゃん!!!」というLINEが来ていた。通話に不在だったNだ。
 Nは詩も書くし脚本も書くし、すごい。幹事長をやりながら合宿幹事もやるし、掛け持ちのサークルのコミット率も高すぎるし、大学も忙しそうだし、たくさん飲みに行ってるし、一度私に24時間の使い方を教えてほしい。そして、その苦労を人に見せないところ。やわらかなマイナスイオンで吹き飛ばしているところをずっと尊敬している。

 Nには、Nにはこれからも末永く幸せでいてほしい……。Nが幸せならOKです。
 私たちの青春のあれこれ。私の走馬灯に出てくるはずの、秋の東京メトロ。

 サークル同期の前で泣くとき、だいたいNがいる。……いるし、だいたい酔っている。
 サークルが辛すぎたときに温かいお茶を手渡してもらって泣いた日、ふたりでサシ飲みをしているとき、店内のBGMが刺さりに刺さってふたりで大号泣した日、電話越しに2時間くらい泣いてた日……は同じ日か、いや泣いてばっかりだな。Nの底なしの優しさに甘えすぎていないか、ときどき心配になる。というか甘えている。
 推しの急逝で生きる希望を失った日、疫病神みたいな私が推したせいじゃないかってところまで思い詰めて、生き続けることに恐怖を覚えていた日々。すべての連絡を絶って引きこもっていたとき、クリームソーダを飲みに連れ出してくれたこと。そして、根回しをしてくれた人の存在。
 忘れちゃいけないことまでニワトリ頭で忘れたくないから、多分私はこれからも書き続けるんだと思う。

 就活生だったとき、サークル同期と蛇口からレモンサワーが出てくる居酒屋に行った。「みんなで幸せになるには」というお題で、グループディスカッションをすることになった。ちゃんと酔っている。
 「みんな」とは「スタバのフラペチーノを1日に2杯飲む人」という前提確認から始まり、結論は「ドライブスルーのスタバと羽田空港そのものを増やす」に終着した。ちゃんとベロベロに酔っている。

 蛇口の栓が爆発して酒が吹き溢れたことに笑い、当たり前のように飲みすぎた私は気持ち悪すぎてお手洗いに籠ることになる。「大丈夫かー」「寝るなよー」と外で声を掛け続けてくれているNに対して、「みんなで幸せになろうね〜」と泣きつく始末である。害悪すぎる。飲みの記憶が飛ばせないのは私だって嫌だ。そして、同じく洗面所にいたお姉さんがぎょっとして水を買ってきてくれ、人生相談に乗ってくれたのだった。
 人妻のお姉さん曰く、結婚相手を選ぶポイントは「顔のタイプより一緒にいて居心地がいい人」らしい。それを聞いて、顔を見合せてちょっと笑ったこと、みんなで幸せになるために就活頑張ろうと励ましあったこと、手渡されたペットボトルの冷たさと一緒に忘れたくないなあと思う。

 いろいろ、ありすぎて書ききれないし書けないけど。
 ありがたいことに、私の周りにはお世話係が多すぎる。もはや飽和してるくらいには。

 長くなってしまったけど、これが私のサークル同期。素敵な人たちとグループ展を開けるのがとっても嬉しい。
 参加者はあと半分いる。私のスーパーパワフルクリエイティブ大集団の高校同期だ。
 次はこの人たちの紹介を書ければ、と思う。

 2024年12月8日、都内にて。あらゆる人のご来場をお待ちしています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?