前職を辞める時に言われた上司の言葉がまだ胸につっかえている
はじめに
前職を辞める時に上司に言われた言葉としてまだ胸につっかえているものがあるのでここで吐き出すことで供養させてもらいたい
(供養できないかもしれないが)
二つある
一つ目は
「俺はお前より仕事で嫌な思いをいっぱいしてきたで…」
と言う言葉であり、二つ目は
「働けないならともかく働ける状態で生活保護なんて考えるのは絶対許さん」
と言う言葉である
どちらも真っ当な人間ならば響く言葉なのであろうが、残念ながら自分には響かなかった
むしろ、上司に愛想がついてしまった瞬間となった
別に上司が嫌いだったわけではない
むしろキャラ面では好きな上司だった
しかし、この言葉を聞いて、自分とは考え方が180度違うことを確信し、自分は後腐れなくこの上司の下を去れると思った
今回はそういう話をつらつらとしていこう
1つ目の言葉
「俺はお前より仕事で嫌な思いをいっぱいしてきたで…」
この言葉を聞いて皆さんは何を感じるだろうか
文脈にもよると思うし、人それぞれの感性によって、感じ方は全く違うだろう
私はこの言葉を聞いて、こう思った
「だからなんだというのか、仕事は辛くても我慢すべきだという価値観に染まれと言いたいのか、それならば断固拒否する」
このように、私はどのような理屈を並べ立てようとこの先も拒絶することを選ぶつもりだが、上司の主張の意図は理解しているつもりだ
仕事で嫌なことがあってもそれを乗り越えたら一皮剥けて成長するぞ、ということであろう
そして、成長した後に振り返れば仕事の辛さは自らの成長の糧だったと解釈できるようにもなるのだろう
仕事を乗り越えて出世した上司の言葉である
実態の伴った深い言葉なんだと思う
しかし、私はNoを示す!
受け入れなどしない!
なぜなら日本は少子化だからだ!
若い方が貴重
昔から若いものは貴重だった
しかし、それと同じくらい歳をとるというのも貴重だった
人がすぐ死ぬ時代、歳をとることは、経験を積んでいることの証明だったからだ
しかし、今や違う!
誰でも年寄りになれる時代だ
つまり、歳をとるというのは老化、衰退以外の何者でもない
若いものこそが尊いのである
よって、社会に染まれよ、つまり大人になれよ、という上司ちゃんの言葉は俺に老いろと言っているに等しいのだ
一度老いたら若返ることはない
不可逆な反応である
だから、俺はずっと若いまま、子供のままで生きることを選ぶ
年寄りなんかになりたくない
いかに社会に適用してきたかを誇るのではなく、如何に我を通してきたかを私は誇りたい
厚顔無恥であろうと構わない
面の皮の厚さを誇りに思って私は生きる
それこそ若さの証明だと思うからである
日本の同調圧力の中では社会に染まる方が楽な行為である
我を通すというのは、それなりに強い信念があるか、超弩級のバカにしか成し得ない芸当である
どれだけの幼稚さを如何にこの身に宿し続けられるかを目標に私は日々生きている
若さを保つ私の生き様の方が、かっこいいだろ?
どう考えても
よってかつての上司の言葉には一ミリも靡かない!
上司と袂を分つ瞬間である
俺が苦労してないみたいにいうのはやめろ
あと、言い忘れていたが、上司の言葉は、まるで俺が苦労をせずに仕事をしていたと言わんばかりの言い分である
苦労なんてものは主観だ
上司が勝手に俺の苦労を決めつけていい道理などない
俺が辛いと言えばそれは辛いのだ!
本当は俺が辛いなど微塵も思わずにぬけぬけと惰眠を貪っていることを上司が見抜いていたとしても、俺が辛いと一言いえば、その惰眠は辛い経験なのである
仕事で苦労しないことの何が悪いのか
上司目線でみれば仕事で苦労することが当たり前なかもしれないが、そこを指摘するのはお前は苦労してないからムカつくという八つ当たりでしかないだろう
酷いぞ
お前は苦労してないみたいに問い詰めたその時点で、その問答に私は苦労した
確かにそれまでは苦労していなかったかもしれない
しかし、その問答で私は十分苦労した
だからもう許してほしい
最後に苦労をさせてくる上司は抜け目がないなと思う次第である
うーん、酷いぞ?
仕事で苦労するのが美徳と言う人の説得力の無さについて
せっかくなので、苦労が美徳だよという主張に対して自分が腑に落ちない点をいくつか述べておこうと思う
苦労を美徳化する人間は、仕事を頑張ってある程度出世したおじさんたちに多い傾向があるが、彼らが共通しているのは、なんだか絶妙に受け身なんだよなという点である
絶妙に受け身だと感じる部分としては、彼らは仕事に対しては一生懸命だったとしても、受験勉強や家庭などを振り返ってみたらそこまででもないとおもえるからだ
まず受験勉強からいこう
受験勉強で苦労したという苦労話で私が共感できるのは東京一工医のみだ
それ以外の受験はお遊びである
本人が如何に苦労してようが、それは本人の主観だ
私の主観からみたら取るに足りない苦労話である
まず、この関門を突破してくれる上司が少ないというのが、苦労を美徳化できない最大の要因である
うーん、上司ちゃんたち、社会人になるまで結構苦労知らずやん?
なんでそんなに偉そうに苦労を語れるんだ?と私はどうしても思ってしまうのである
次に仕事での苦労話である
仕事での苦労話は、上司ちゃんたちが社会に出てから洗礼を浴びる最初のもがきであろう
社会の洗礼に対してもがき苦しみ、そして見事打ち勝った上司ちゃんたちは普通にすごいと思う
そこに関してはしっかりとリスペクトしている
だが、洗礼ってよく考えたら受け身やない?
なんか自分からリスクをとって挑んだ道なのか、それ?と聞きたくなるのである
そして、上司の言う道を辿って辿りつく先は、会社の中間管理職というポジションであることも非常に話を聞く気になれない要素として大きいのである
自分だって聞き分けのない馬鹿ではない
リスクを取って大成功するための苦労話ならよろこんで耳を傾けよう
しかし、どうだ?
上司ちゃんたちのご高説は、降りかかる火の粉を払うのが如何に大変だったか、という話であろう
……そんな話、なんというかあまり聞こうという気にならないだろう
大成功する可能性のある未来に対しては自らの意志で足を踏み入れようという人間はいるだろうが、火の粉が降りかかる場に誰が好き好んで足を踏み入れたいと思うだろうか
これから来る大厄災から世界を守る方法について異世界から伝えにやってい来たならばともかく、仕事をしていると話の通じないクソ客がいるぞ気を付けろだと……
そんな客がいるなら一緒に滅ぼそう!と言うのならいざ知れず、なぜそんな客に花を持たせる行為を美徳とするのか……
私はそんな価値観に染まりたくないのである
上司ちゃんたちだって本当は悔しいはずだろう
こんな頑張ってるのに、コケにしてくる客やその上の上司、社会に、そして俺のような部下に
しかし、そのような憎しみを抱えて取る選択肢は、ひたすらに我慢、という行為である
これは、個人レベルでは最適な選択肢かもしれないが、ある種の負けを容認する行為である
そんな人生、誇れるだろうか?
生き方の一つとして参考にさせてはもらうものの、私はまだ戦える
社会が間違ってるんだから、社会を俺は変える
割を食うバカでも構わない
冷笑されようと構わない
最後の最後に俺が勝ち、それによって噴出した問題は、全て上司ちゃんたちにシワ寄せを食らわせてやる
上司ちゃんたちは黙々とやってくれると信じている
逆にここで戦いが起きるのであれば、それもまた一興
全てを制し世界を俺のワールドに染めてやる
話しているとかなり話が脱線していくが、上司ちゃんたちの苦労話が腑に落ちない点の二つ目は、上司ちゃんたちの家庭、あんまりうまくいってないケース多くね?というものである
家庭が仕事の犠牲になっている傾向がかなり強い印象である
それって全然誇れなくないだろうか?
自分も上司ちゃんたちの言う苦労を辿れば、家庭が保てない可能性があるというだけで、私は死んでもそれだけは御免だと言いたい
家庭を犠牲にしてまで成し得たいものってなんだ?
それが、仕事とか頭沸いてんの?という気分にしかならんのである
言うだけ番長
それと言ってしまえば、上司から部下への鼓舞は全部口だけである
それがなかなかムカつくなと思うのだ
自分の言葉に責任を持てと言ってくるなら、上司が部下の全ての面倒を見てやる!くらいの男気溢れるセリフを言って然るべきだと思う
でも実際は部下が溺れていても知らんぷりなのだろう?
上司の言う通り苦労したら溺れちゃったよ、助けて〜、なんて言っても、いや、お前のやり方が間違ってたんだ、苦労が足りん!あとは自分で這い上がれ!と言うに決まってるのだ
口だけ番長なのが分かり切っているからこそ、その言葉に説得力がないのだ
一番自分ごとにできていないのは上司である
都合が良すぎるぞ
ぷんすか
二つ目の忘れられない言葉
上司の愚痴を話し始めると止まらないので、そろそろこの辺で次に行こう
もう一つの忘れられない言葉は、「働けないならともかく働ける状態で生活保護なんて考えるのは絶対許さん」という言葉である
僕はこの言葉、本当に悲しい言葉だと思った
退路を断つ、人でなし、とすら思った
働けるなら生活保護をもらってはいけないというのは言葉のあやで、実際はフリーライドなど許さんと言うことを言いたいのだろう
フリーライダーはくたばれという意見には同じ意見だが、働きたくないから生活保護というのはフリーライドなのだろうか?
確かに医療費無料などのオプションは完全にフリーライドのそれだろうが、ベーシックインカムとしての生活保護がなぜそこまで忌避されるのかは共感できない
働く気がないわけではない
好きなことで生きるための食いつなぎで生活を保障してもらいたいだけだ
働かないことがダメという価値観、それを俺に押し付けるのは辞めてほしい
上司だって労働者のはずだ
仕事だっていつ仕事に嫌気がさすかわからないだろう
その時に自分が言ったその言葉で自分を苦しめる可能性は考えないのだろうか?
自分は無理してでも働くという考えなのだろうか
おそらくそうだろう
でも、俺は無理してでも働くというのはそれって個人の価値観の問題じゃないだろうか?
他人に強要するというのは酷だというものであろう
無理してでも働くという気概があるならば、無理してでも周囲の人間全員を俺の手で支えてやるという漢気を発揮してくれてもいいのにと思ったりする
まあそれはその上司に好かれていないといけないことだけれども、上司に仮に好かれたとしてそのように俺の全てを支えてくれたりするのだろうか?
多分無理があると思う
結局支え合いの資源というのは有限である
上司個人では、自分の過程を支えるので精一杯だろう
しかし世の中には多数の人間を支えられる超巨大な手が存在する
国家であり、社会保障である
その社会保障の一つが生活保護であり、その生活保護の意義についての捉え方は個人ごとに解釈可能である
個人ごとに解釈可能でなければ、窓口で出し渋られたり、圧力団体を通せば簡単に申請が通る
これが個人ごとの解釈でなくてなんだと言うのか
この人は客観的にみて生活保護を受けるべきだという画一的な基準があってそれを満たす診断書が必要というわけでもない
つまり、何が言いたいかと言えば、生活保護の定義は受給者ごとに決められるのである
とすれば、自分がやりたいように生きるために生活保護を利用すると言う使い方は否定されるものではない
そんな使い方をするのは上司としては絶対に許さないらしいが、許されなくても良い
それがどれだけ愚かな罪を犯すものだとしても俺は我を通させてもらおう
…とまあ、威勢よく宣言してみたものの、幸いなことにそこまで自分は落ちぶれてはいない
生活保護というのは使わなければ使わないに越したことはないのは私も同感である
よって、上司の失望を招く行為は今のところまだ行っていない
まああれこれと考えたが、結局は思考の中の出来事に留まっていることが自分にとっても上司にとっても社会にとっても良いことだろう
この状況が維持していけるならそれに越したことはない
上司の言葉を積極的に守る気は毛頭ないが、積極的に破るつもりも毛頭ない
結果的に上司の言葉が守れている今の状況が一番どちらにとっても良いことなのだろうなとは思う今日この頃である
おわりに
#忘れられない上司の言葉
タグに釣られてホイホイと書いていたら、もう5000字に達してしまった
まあ、お題がなくてもいつか話題にしたい話だったので、今回記事にできてよかった
あまり供養できた気はしないけれども、あの時のモヤモヤを言語化できて少々スッキリした
結局、冷静に考えれば上司の言葉は正しいことしか言っていないのは分かっているのだが、分かっていても受け入れてやらない
これはもう意地である
意味不明と言われようが構わない!
おれはまだまだ子供でいることを選ぶ!
そして、晩年に俺のギネス級にぶ厚くなった面の皮を見せに行ってやろう!
きっとバカバカしくて笑い死にすること間違いない
楽しみにしていてください
ほな