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『やめたくなるくらいに仕事がキツかったので、エナドリを飲みました』2024年9月7日土曜日
静謐(せいひつ)です。
いやあ〜昨夜のお仕事は、本当にフラフラで大変でした!
できればお休みしたかったのですが、所長が変わって、休みづらくなってしまいまして……。
そこで、出勤したあとで、コンビニに新聞をお渡しするついでに、アリナミンVのエナドリを買って、飲みました(わたしのお仕事は、新聞配達です)。
効果のほどはあったようで、なんとか、昨夜はお仕事を完遂させることができました。
この調子で、あと30年は頑張りたいところ。
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「顔文字を使わない」というジンクスがあります。
これは、創作を志しておられる方々に流行っている、暗黙の了解のようなジンクスで……
あくまでも、感情は文章で表すことで、表現の力を磨いていく狙いがあるのでしょう。
もっとも、みなさんがそこまで深く考えているわけではなく、たんに気を遣ったやり取りに辟易されている方もいらっしゃるのかもしれません。
わたし個人は、必要最低限の礼儀(敬語や挨拶)は、見知らぬ他者と関わっていくなかで大切だと思っております。
なので、お付き合いをしている方とも、敬語を使ったやり取りを心がけています。
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今月も季節のお便りに、着手しだしました。
図書館で、考えた文面を絵はがきに書いていく作業が、20名分あります。
今日は2枚書きましたが、一日に2枚書いていけば、10日で書き終えるので、このペースを保持していきたいですね。
先月は「先に逝った祖父母のこと」を書きましたが、今月も「やがて来る父母の死」について綴っております。
短編とはいえ、ホラー小説を書いたり、またひとの書いたホラーを読んだりしているせいか、死に関する記述が増えた……というよりは、意識が死に近づいてきたのかもしれません。
10代の頃から、人生の生きる意味がわからなくて、ずっと「ひとは何のために生きて、なぜ死んでいくのだろう?」と考えていました。
自分勝手なわたしは、「最期に笑って逝けたら、それで満足だ!」と一人で思い込んでいましたが……そこに行き着くまでも、目的や動機がなければ、笑顔に結びつきません。
笑って死ぬ、そのためには、きれいごとではありませんが、他者貢献をしなければならないと気づきつつ、それがどんな形でやっていくべきかと考えあぐねております。
ひとの書いた小説を読んで、感想を書き、励みとなってもらうこと……
ひとの描いた絵を観て、「ここがよかった」と褒めることで、さらに伸びてもらうこと……
愛猫の写真をSNSに拡散して、見るひとの癒やしとなってもらうこと……
ほかにも、自分の描いた絵を観たり、小説を読んでくれたひとが、いっときの楽しみや深い感情に遭遇してもらえるよう、願うこと……
お金がないので、自分なりのやり方で、社会貢献していきたいですね。
この日記を読んでくださった、あなたにも感謝を捧げます。
ご読了ありがとうございました。
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